2010年12月22日水曜日

コジ・カーターよりバルドスへ

バルドス、きみの手紙を読んだよ。今きみには、次のことしか言えない。
ボッカッチョが『デカメロン』の中で言っているように、
「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ」
という一句だ。
きみの喜びは昨日の喜びでも明日の喜びでもない。きみの不安も同じだ。それは今この瞬間のものなんだ。
恋愛は政治とは違う。正しい行先を目指すこと、操縦を誤らないようにすることはもちろん大切だけれど、何より大事なのは飛行そのものなのではないのか。
バルドス、きみはもう飛び立ったんだ。ただ飛び続ければいい。

それからもうひとつ言いたいのは、われわれセラピオン兄弟は、遠くから無事を祈ることしかできないけれど、きみをいつも応援しているということだよ、バルドス。

コジ・カーター

2010年12月15日水曜日

日本語の癖と美しさ

ご無沙汰しています。編集(片)です。まぁ、バルドス氏の小説に登場したりと、いろいろと忙しいようです。

次号は創作号、となれば編集部の一同も小説を書かなければいけない、ということで僕も最近は日本語について考えています。頭の中が翻訳でいっぱいなときには、いかに癖のない文体を選び出すか、読みやすい文章にするか、そうしたことを意識して、「そぎ落とす」ことばかり考えていたのですが、最近Kindleで青空文庫からてきとうに古典を拾っては読んでいると、その多様な文体にまた圧倒され魅了されます。四迷の「浮雲」の自由闊達な文体、鴎外の文語調の格調高さ、漱石の漢文交じりの、分らないままに伝わる風格と、「道草」の現代でも通ずるような読みやすさ。

ほんとうは翻訳こそ、そうした文体の癖さえ描き分けるほどに日本語を巧みに操れてこそやるべきなのだろう、と思いながら、その域に達するにはまだ道半ばのまた半ば。少しでも栄養を補給しないと、などと思います。

……そういえば、ロシア語・英語が闊達で昨年度まで非常にお世話になった方も、「きれいな日本語を読みたい」と言っていたなぁ。そのときの僕は、外国語ができないということで頭がいっぱいで、自分の日本語の不足なんて思いも至らなかった。

2010年12月13日月曜日

夜明け (ミーチャのアルバムより)

 修士の学位論文を提出した日、長い蟄居生活が明けたことを記念して、ミーチャは同じ提出組の仲間たちと祝杯をあげに行った。午後のまだ遅くない時間だった。日の光に満ちた明るい店内で、空き腹に酒を流し込んだ。そのまま杯を重ねているうちに、夜になった。帰る気も眠る気もなかったから、今度はダンスホールに繰り出した。

 そうして夜っぴて歌って踊りつづけた。そのうち酔いはさめ、意識が冴えてきた。濁った空気は重く、手足も重かった。やがてウェイターが気のない声で時を告げ、一同は言葉少なにホールを後にした。

 一年で夜がいちばん長い時季だったから、あたりはまだ暗かった。だが、夜の密度は確実に薄らいでいた。じきに日が昇り、残された夜を迅速に蝕んでいくだろう。そして再びもう一つの日常が始まるのだ。ミーチャの胸の内を察したかのように、サーシャが言った。「論文を書いていた間はやりたいことがいっぱいあったはずなんだけど、何だかみんな忘れてしまったみたいだ」

 改札で仲間たちと別れた。プラットホームにはすでに始発列車が待っていた。すべての扉を開け放したがらんどうの車両が、延々と長くのびていた。ミーチャは寒々とした車内の隅の席に腰をおろした。マフラーをきつめにまき直し、コートの襟をかき合せた。白熱灯の冷たい光が疲れた神経をかえって刺激するかのようで、昨夜のまだ新しい記憶が脈絡もなく頭の中で明滅した。列車が動き始めた。やがてミーチャは、ただ肉体が要求するだけの眠りに落ちていった。

 目が覚めたとき、すでに夜は明けていた。向かいに座っている、明らかに酔いどれの風体をした中年男が、無精ひげをさすりながら大きなあくびをした。ミーチャもつられてあくびをした。まだいくらか酔いの残っているらしい男は、おどけた顔でミーチャにウィンクをしてみせた。

2010年12月10日金曜日

本郷市史 2010-2011 (2)

序言(続き)

 コジは来年が波乱の年になるのではないかと危ぶんでいた。この年の夏、セラピオン兄弟(コジの仲間たちの通称)は一人の女を仲間に迎え入れた。あらゆる謎を免れているかと思えるほどに開放的で、しかしその過去のすべてが謎に包まれている女、ソーニャ。彼女を仲間に入れたとき、友としては正しいことをしたが、政治家としては道を誤ったのだ、とコジは思った。

 コジは政治家としての気質がすっかり身についてしまっていたから、ソーニャを迎え入れた時点で、バルドスに依頼してソーニャの来歴を秘密裏に調査させた。その結果、ソーニャの過去の一部が明らかになった。彼女は、本郷から市一つはさんで50キロほど離れたところに位置する町、マギラにある劇場の花形の踊り子だった。劇場の経営者であるクライトンは、郡全体に影響力を持つとされる黒社会のドンで、マギラの実質的な支配者だった。クライトンのソーニャに寄せる関心は、単なる興行主としてのそれを越えたものらしかった。

 そのソーニャがなぜかマギラを逃げ出し、本郷に流れ着いたのである。いずれクライトンはソーニャがこの町にいることに気づくだろう、あるいはすでに気づいているのかもしれない。クライトンがそれを黙って見過ごすとは思えなかった。
 また市内にも、ジャンゴの一件が引き金となってソーニャに関して良からぬ噂をする者がいた。それは主に反コジを標榜する連中だった。来年の市長選を前に、コジは反対派に一つの弱みを与えてしまったのだ。相手の策謀に、一挙一動に目を光らせなければならなかった。

本郷市史 2010-2011 (1)

序言

 本郷市は決して大きな町ではないが、郡の最高学府を有し、文化の中心地として栄えている。町を東西に二分する本郷通りに、ほとんどすべての機関が集まっている。通りの中心には大学がある。広い敷地のなかに瀟洒なレンガ造りの建物が並び、それらの建物を統べるかのように巨大な塔が中央の講堂広場にそびえ立っている。文献学者として世界的に有名なパーヴェル・オーセニイが現在学長を務めている。大学の向かいには市政館がある。現在の市長は三年前の市長選で初めて当選したコジ・カーターである。異例の若さで市長に就任したが、すでに市政の重鎮としての貫禄を示している。市政館の東、百メートルほど先に保安官事務所がある。本郷市は郡警察の管轄化に置かれているが、町の実質的な警察任務は保安官が担っている。保安官を務めるのはバルドス・トモンスキー、保安官補はショーン・ベーリクとイッペーオ・トゥリーダマーの二人である。この三人はかつて共同で探偵事務所を経営しており、そのときの実績を買われて現在の職に任命された。市政館の隣には本郷新聞社の事務所がある。現在主筆を務めるのはケイシー・ツボノヴィッチ。彼は小説家・翻訳家としての顔も持っている。

市の政治と文化を担う彼らは、みな本郷大学の出身者で、同じ研究室で学んだ仲間たちである。本郷市のような小さい町を治めるのに、彼らの親密さは都合が良かった。市政は行き届き、治安も良く、人びとには活気があった。来年に市長選を控えていたが、コジに寄せる市民の信頼は厚く、再選は確実視されていた。

こうして2010年もつつがなく暮れていくかに思われた。だが、コジの胸には一つの暗い予感があった。

2010年11月20日土曜日

丘をおりる

バルドスは執筆の仕事をほぼ終えました。数々のご声援、ありがとうございました。特にショーンとアーニャの二人には心から御礼申し上げます。

それからモスクワのアレクセイ! あたたかいメールをいつもありがとう。一月遅れの誕生祝いも、胸にしみた。

もちろんまだ気を抜くには早い。必要条件をクリアしただけだ。より完全に近いものを目指す。

ケイシー、終わったらソーニャとピクニックに行こう。

2010年11月19日金曜日

いずれは機械翻訳がとって代わるのかな

のんびりとやっていた「フランツ・シュテルンバルト」の翻訳も、ようやく第一部が終わって、これで半分弱(今のところ12万3千字くらい、原稿用紙300枚とちょっと)。というわけで一区切り、というか第二部の最初がどうも難しくて少し気力が降りてこない。

そもそも、今回やってみて知ったこと。ティークはもちろん作家であるけれど、詩人でもあって、ゲーテやアイヒェンドルフほど天才ではないにせよ、詩もたくさん残しているのに(Wikipedia DeではDichter, Enではpoetが紹介文の最初の肩書きになっているほど)、参考にしうる翻訳が全然見つからない。まあ、頑張ってロマン派詩集みたいなものを漁りに漁ればいく編かは見つかるのかもしれないけど、今探しているのは、小説内に収められた、必ずしも出来のいいとは限らない作中詩なのでちょっと難しいだろうな。

そんなわけで、暗中模索。それでもコツコツとやっているのですが、いつかこれを踏まえてきっと誰かがもっといい訳を生み出してくれたら、などという言い訳をすでにもうしつつあったり。そうは言っても、たまには難読の場所を必死に読んで正しく解釈できている気もするので、その辺くらいは、次の訳者(百年後くらいかな?)にも役立つといいのだけれど。

2010年11月10日水曜日

フィルムセンターへ行くべし

暫定偏執長代行・河岸です。
編集長はもはや名ばかり、摂家将軍の方がまだしも働いていただろう…と思われる状況にあるため、上記の「偏執長」なる記述は誤記でも何でもないんだぜ!

はあ。それはそうと。
11/9~12/26の間(つまり昨日から今年いっぱい)、国立フィルムセンター(NFC)で黒澤明特集が組まれているのをご存じだろうか。全監督作品30作に加え、脚本・脚色作品20作の総計50作品が一挙上映されるという、生誕百年に相応しい好企画なのである。

じつは今年度から、国立博物館・美術館のキャンパスメンバーズ制度がNFC通常上映にも適用になっている。
したがって本学学生ならばだれでも、学生証の提示だけでタダで50作すべてを鑑賞することができるのだ(…おっと、当ブログはべつにどの大学の所属だと表明しているわけではなかったか。加盟校の学生なら、と訂正しよう)
わりと早い時間から行列が必要だったり、マナーの悪い老人に苛立たされたりと決して快適な劇場とは言えないんだけれども、交通費だけで黒澤作品がスクリーンで観られる滅多にない機会を逃すなかれ。黒澤作品、とりわけ代表作を多く含む東宝作品はなかなか名画座ではかかりませんからね。

                       *    *    *

ついでに書くと、神保町シアターという三省堂裏手にある名画座では11/20~12/29にかけて小津安二郎の現存する全作品を一挙上映する。こちらは一本立てで学生料金800円なりが必要となるが、やはり貴重な機会であるから通うといいだろう。
 
というわけで私はこれから、19:00~の「素晴らしき日曜日」を観に京橋へ移動するのである。
 
 
NFC・黒澤特集ページ
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2010-11-12/kaisetsu.html
 
キャンパスメンバーズ加盟校
http://www.momat.go.jp/campus/index.html
 
神保町シアター・小津特集ページ
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/ozu.html

2010年11月7日日曜日

届かない手紙

ボヘミアンのおじさんへ

 おじさん、元気ですか? 今どこに隠れているんですか? いつまで隠れているつもりなんですか?

 おじさん、正直俺は今しんどいです。おじさんが隣にいて探偵稼業のイロハを手取り足取り教えてくれたころが懐かしい。あの日、ひたすら張り込みと尾行を繰り返して、やっと「本郷通りのアル・カポネ」の不正を暴いたとき、おじさんは「お前はもう一人立ちできる」って言ったけど、俺はまだ一人では何一つ解決できていないんだ。

 「バラ色の街角に消えた女」は迷宮入りしそうです。いや、肝心なのはそういうことじゃない。肝心なのは、俺自身がそこに迷い込んで、抜け出せなくなっているってことなんだ。顔も名前もわからない女の行方を、トミーの気違いじみた熱狂に伝染したみたいになって、むちゃくちゃに探しまわっているうちに、何だかあの幻の女が俺自身の探し人であるような気がしてきて、トミーが最後に見たという後ろ姿がいつも昼となく夜となく目先にちらついているんです。
 あの女の振り向いた顔がむしょうに見たくて、見たくてたまらなくて、手がかりは何もないけど、明日こそ何か見つかるかもしれない、何か発見があるかもしれない、そんな根拠のない希望だけにたよって、今もまださまよっているんです。

 おじさんは一年前、「ホシを掴むには、その目的地にホシよりも速く行くことだ」って教えたけど、この事件については無益な忠告でしたね。

バルドス

2010年11月5日金曜日

友への手紙

ケイシーへ

 元気でやってるか? 執筆は順調かい?
 君が小説を書くために、背水の陣をしいて、どこぞのホテルに引き籠ってから、もう数か月が経つんだね。

 みんなは元気でやってる。ソーニャの秘書っぷりもなかなかさまになってきた。今ではうちの探偵事務所の顔だよ。相変わらずショーンのことをよくからかっている。君がいないのを寂しがっているぜ。でも、書き終わらないかぎり帰ってくるな、と強がりを言っている。

バルドス

 

2010年10月31日日曜日

神保町

すっかりご無沙汰をしていました。意外と書くことに困ってしまって、というかチェーホフ短編集の感想を書くつもりが、まだ読み終わっていないので宙ぶらりんなこともあって、ずるずると。

これではいかん、と神保町の古本市に行って来たのですが、昔ほど古本にときめかない自分に気づかされつつ、それでも午後いっぱいぶらっとしてきました。最近、読みたい本がたまりにたまっていて、古本屋で面白そうな本を見つけても、それを読む時間を手に入れた自分を想像できず、置き場所ばかり気にかかってなかなかレジに持っていけません。

というわけで、すずらん通りのキズ物本たたき売りなども目を通しながら、買うには至らず。かろうじて編集(河岸)氏が「厳松堂半額ですよ!」と興奮して言っていたのを思い出して、「教養小説の展望と諸相」という本を買ってきました。1400円だったし、有名な人も何人か書いているので、悪くない買い物だったかな、と。ちなみに彼が買っていた「ミハイール・バフチーンの世界」はまだ在庫があって、買おうか迷ったのですが、同じ本を買うのも芸がないと思ったのでやめました。

あとは「トールキン指輪物語事典」というのを衝動買いして、ネットで見たらけっこう安く出回っていたけれど、こういうのは一期一会だから、まあいいか、と。「芸術と策謀のパリ」という本がワゴンで400円で出ていたのを迷って買い損ねたのをいま少し後悔しつつ、でも残りの2冊がずいぶんと重かったのです。誰か明日以降行って、まだ見かけたら買っといてください。

前回買うのを見送った白水社の「仏和大辞典」が、またワゴンにあって、3000円で、迷ってまた買いませんでした。金額以上に、重い本を持って帰るという覚悟が毎回つきません。だれか重さ以上の情熱がある人は買ってみてください。
「事典 現代のドイツ」というのも2冊別々の場所で見かけて、データが古そうなので買わなかったけれど、役に立つものだったかも、といま思っているところ。

そんなところで。ちなみに、ワゴンセールについては水曜までやってると思います。

2010年10月26日火曜日

国会図書館1

 今日久しぶりに編集室に顔を出したら、髪の青くなったブロンドがいた。長い間会っていなかった。俺は例の「バラ色の街角に消えた女」の不毛な捜査に追われていたし、ブロンドも最近までダージリン襲撃事件にかかりっきりだったからだ(ホシをあげたのはブロンドのお手柄である。ちなみにホシはあのジャンゴだった)。

 俺は資料を集めに国会図書館に行かなければならなかった。しばらく雑談した後で俺が席を立つと、ブロンドも時計をちらっと見て立ち上がった。「どっか行くのか?」と聞いたら、何と国会図書館に行くのだという。妙なめぐり合わせに驚く俺に、ブロンドは「何で髪を青くしたのか忘れてしまってね。国会図書館の遺失物係に理由を聞きに行くんだ」とぼそっと言った。

 外に出ると、空は暗くて、秋の雨が霧を撒くように降っていた。二人とも傘を持っていなかった。雨の本郷通りを駅まで歩いた。人通りが多かったから走りようもなかったが、そもそも走って避けるほどの雨でもなかった。まつ毛に溜まった水滴が頬を伝って流れ落ちた。湿っぽいメトロの階段を下りたら、ちょうど列車がホームに到着したところだった。飛び乗ると同時に、後ろでドアが閉まった。いつもより明るく見える白熱灯を反射して、雨に濡れたブロンドの髪が青く光った。

 国会図書館の方へ、列車は地下トンネルを進んでいった。 

2010年10月15日金曜日

Kindleユーザーは紙の本もお好き

Kindleについてばかり書いているのもあれなので、たまには紙の本について書きます。ただKindleについてちょっとだけ書き足すと、まず日本でも発売されるらしいという情報がだんだんと飛び交いつつあるので、買うのは様子を見てもいいかもしれません。ハードは変わらないと思いますが、日本のアマゾンで本が買えるか、そして日本語入力ができるか、という点についてはなんとも言えませんので。前者は商売を考えれば大丈夫だろうし、後者についてもハードが同じという前提でたぶんOSの差し替えで何とかなるとは思いつつ。
もう1つ、Kindleを持っていると、朝(or昼)に授業に慌てて向かう時に、どの本を持っていくか迷って、気づいたら電車に乗り遅れて早速その本を読む羽目になるという、至福の時間を避けることができます。あと帰りの電車で今日は疲れてるな、と思ったら読みやすい本に切り替えたりもできるので、基本的に読みたい本と持っている本がずれるという不幸が回避できて、これは結構ありがたい。

…あ、もうずいぶんな長さに。 沼野充義訳「新訳チェーホフ短編集」を大絶賛しようと思っていたのですが、これはまた今度。

2010年10月11日月曜日

追悼 池部良

 池部良が死んでしまった。小林桂樹も死に、池内淳子も死んだ。映画黄金期の俳優女優が次々に亡くなっていく。

 池部良は戦前に島津保次郎の映画でデビューした、まぎれもない大スターである。デビュー後すぐに召集され、南方のハルマヘラ島で中隊長として終戦を迎えた。帰国後映画界に復帰し、31歳のとき『青い山脈』(今井正)に主演、16歳の少年を見事に演じてみせた。高校生を違和感なく演じられる30男は、古今東西を通じて池部良くらいしかいないのではないか。
その後も『暁の脱走』(谷口千吉)、『破戒』(木下惠介)、『現代人』(渋谷実)といった名作に主演し、スターとしての地位を不動のものにした。また中年期を迎えてからは、『乾いた花』(篠田正浩)で初のやくざ役に挑み、ニヒルなインテリやくざを鮮烈に演じてみせた。当たり役となった『昭和残侠伝』(マキノ雅弘)シリーズの風間重吉役も忘れ難い。

 エッセイストとしての活躍もすばらしい。本物の文才の持ち主だった。父親(高名な挿絵画家、池部鈞。岡本太郎は従兄にあたる)との思い出をつづった『そよ風ときにはつむじ風』、映画人との交流をつづった『心残りは…』、過酷な戦場体験を描いた『ハルマヘラ・メモリー』などが代表作。いずれも歯切れのいい江戸弁で書かれており、池部の文体へのこだわりをうかがわせるものだ。

 もう四年近くも前になるが、池袋の新文芸坐で池部特集をやったとき、池部本人のトークショーがあって、ぼくはこの目で往年の大スターを見たのだった。
 舞台に現れたとき、満席の会場が水を打ったように静まり返った。90歳になろうとするそのおじいちゃんは、今でも昔の美貌をとどめていて、背筋はピンと伸び、長身痩躯(身長はおそらく180センチ以上)、スタイルは抜群で、水際立った存在感を放っていた。『昭和残侠伝』の頃よりも痩せていて、原節子に「もやしちゃん」とからかわれていた若い頃を思わせる体つきだった。
 話術も抜群で、エッセイそのままの鮮やかな語りで会場を魅了した。名画座通いをしていると、トークショーなどで俳優や女優を直接目にする機会もあるけれど、おじいちゃんの池部良ほどオーラを感じさせた人はいない。
「これがスターなんだ」と、興奮しながら思ったことを今でもよく覚えている。

いずれ追悼上映会をやろう。

2010年10月9日土曜日

間違い探し

「紺屋の白袴」という言葉があります。あるいは「医者の不養生」。

つまり、編集というのは人さまの原稿を預かる身であって、それのチェックなどしていたら自分の原稿に誤字が混ざっても気づかない、という意味合いの諺ですね。最新号をお手持ちの方は43頁右の列の真ん中あたりを見ていただきますと、「木」という字がございます。

なになに? その前の段落の方が訳がこなれていなくて問題じゃないか? まあ、それはその通りでごもっともなのですが、もっと本質的な問題がありまして、この訳は前号来、全体を通してひらがなまたはカタカナのみで来たのです。それなのに、ついつい「木」が、なんの疑問もなく入り込んでしまいました。表音文字同様に一音しか持たないせいかもしれませんが、残念なことです。

もっとも、こんな些細な部分よりも、全体のできの方が大事なんですけどね。

「木を見て森を見ず」なんて言葉もありますので。

吉田喜重

京橋のフィルムセンターで、何と喜重特集をやってるじゃないか! うちの学生は無料で見れるので、みなさん仏文の大先輩に敬意を表して見に行きましょう。

30日の『秋津温泉』の回には、岡田茉莉子夫人も登壇するとか。去年に出たばかりの茉莉子さんの自伝を持って、映画館に出かけよう。

『秋津温泉』。あのロケーションといい、林光のあまりにも美しい音楽といい、他にはないような映画だよなあ。

2010年10月4日月曜日

幻のカラオケ、並びに予告編

冬学期の始まる前に景気づけにカラオケをやろうと自分から触れまわったくせに、ようやくリズムにのってきた修論を書き進めているうちにすっかり時が過ぎてしまった。その気にさせてしまった方々、どうもすいません。今でもやる気は満々だけど、自分から企画する余裕は今はないです。誰か奇特な方、代わりに予定を立ててください。俺は家で論文書きながら、カラオケのテレビ画面より参加したいと思います。

なお、小説の冒頭らしきものを書くことが好きなバルドスが、また新作を企画している。今度の作品の題名は「サーシャ」。舞台はペテルブルク。ネヴァ河沿いの宮殿通りをワゴン車で暴走するのが大好きな、優しいおじさんの話である。乞うご期待。

2010年10月3日日曜日

Kindleと読み上げ機能

さて、もうすぐ新学期ということで皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は通年の授業の準備をしたりなんだりで文章を打つ時間が長くなり、そうするとブログを書く気力も落ちてくるわけです。くわえてギターを弾きすぎて腰が痛くて散々で、PCに向かうのもつらいのですが、まあなんとかなるでしょう。

相変わらずKindleの欠かせない日々を送っているのですが、今日はテクスト読み上げ機能について。Kindleは背面にスピーカーがついていて、実はMP3も再生できます。僕はバッテリーが心配なので使っていませんが、好きな曲を再生しながら優雅に読書、なんてこともできるようです。さらに、テクストを読みあげてもくれます。男声・女声、それに早さも三段階から選べるのですが、個人的には初期設定の男・普通速が好きです。サンプルを録音する気力がないので省略しますが、ときどき抑揚がおかしいな、と思ったり、チャプターとその次の行を立て続けに読んだりと、改良の余地はあるものの、十分に役立ちます。発音も少し癖があるもののだいたい大丈夫。分らなかったときはテクストを目で追えばいいわけですし。

惜しむらくは、スピーカーが背面にあるせいで、後ろを向けた方が音がクリアになる(けれども、テクストは表に向けないと読めない)ことですが、コンパクトな中にスピーカーを納めただけでもよくやったと思いたいところです。

ちなみに英語以外だとひどいことになります。ドイツ語だとけっこう笑えます。
 
…けっこう、音声合成系の音楽の一つのツールとして使えるんじゃないかな? 誰かサンプリング素材として使ったら新しいのにな、などと考えも膨らみますが(とくに英語以外を読ませれば、意味をなさない発音の羅列が生み出せるわけで、そこに偶然性の芸術を生み出す余地があるような)、今日はこんなところで。

2010年9月29日水曜日

「本郷通り、」第7号の予告

そういえば、昨日の投稿で書き漏らしておりました。来るべき第7号について。

第6号巻末にも記したとおり、次号は「創作特集」を予定しています。
期日は未定ですが、今年度論文提出にあたる同人諸氏の投稿が間に合うよう、
年明け~年度末までを大凡の目安として編集に入ります。
投稿してみようかと思った方は是非執筆を始めてください。
論文組の皆さんも、論文を書きあぐねたときの気分転換には「創作」をどうぞ!

もちろん、特集以外の評論・連載記事等も募集してまいります。
以上宜しく。暫定編集長代行がお送りしました。

「本郷通り、」第6号発行のお知らせ

ご無沙汰していました、暫定編集長代行(河岸)です。

告知が遅れましたが、「本郷通り、」第6号(2010年夏号)を先日発行いたしました。
今号は事前告知では「特集:宇宙」と銘打っておりましたが、実態は「小特集:宇宙」というべきものとなってしまい、編集部の無能をまたまたまたもや露呈する始末となり、恐懼にたえぬ次第であります。
今回「宇宙」をテーマに寄せられた文章は三作です。
数こそは少ないながら、この道のプロフェッショナルから寄せられた原稿を含む三作は非常に素晴らしいものです。今号でも質の高い文章を弊誌からお送りできることは編集部一同大いに喜びとするところであります。

特集外の主な内容を箇条書きにしてみましょう。
・「本郷通り、」誌初の試みとなる劇評で学部の新人が初登場。この劇評枠は連載化を目指しています。
・創作は日本語の小品一点に加え、英語による小説も今回はじめて掲載しました。
・評論は、力作バルザック評一挙掲載&ナボコフ『賜物』書評。
・前回第五号で発端部を紹介した「マックスとモーリッツ」の続きの翻訳を掲載。
・連載はついに一本だけになりました・・・・・・。拙稿「マンホール趣味について」です。暗渠の次はマンホールが熱い!

ざっと以上のごとくであります。
最新号は研究室に山積みになっておりますから、お立ち寄りの際にお求めください。定価当分0円也。

以上、どうぞよろしく。

2010年9月25日土曜日

Kindleに独和辞典を入れる

Kindleのことばかり書いていていいのだろうか、と思いつつ、どれだけはまっているかをそこから察していただけたらと。

Kindleは3になって、日本語対応しました。ということは、辞書だって頑張れば入れられるわけで、実際すでに英辞郎が出ています。おそらくいずれもっと増えるだろうし、ドイツ語も「アクセス独和」あたりが入るとは思うのですが、いかんせんドイツ自体あんまりKindleで盛り上がっていない感じで、コンテンツが充実しない以上、いつまで待てばよいのやら、という感じです。

というわけで、PC用の「クラウン独和」を買ってきて、入れてみよう、と試みたわけです。ちなみに我が家にはすでに紙の同書が2冊ある上に、電子辞書にも入っていて、今更PCに入れてもしょうがないのですが、Kindleで使えるとなれば話は別です。というより、単に新しいもの好きの血が騒いだというべきかもしれません。

ネット上の情報を辿りに辿って、BTONICからEPWINGへ、と順調に来たものの、いろいろと困難がありました。英語と日本語だけならShift_Jisが、横文字だけならASCIIがある、しかし使いたいのはUnicodeなのだ、とか、またドイツ語の特殊フォントは「クラウン」の方で画像として扱われていて、置き換える必要がある、というわけで、そのまま使えるスクリプトが見当たりません。データをテクスト形式で持っていながら、最後の形式に変換できなかったので、辞書の形式をスクリプトを参照にしながら把握して、自分でマクロを書いて(さすがに辞書なので、大量処理ができないと話にならないのです)苦闘すること24時間弱、ようやく形式変換できました。
(なお、手探りで変換してはマクロを書き変え、という具合だったので、ここでアップロードできるような一括スクリプトのようなものはありません。万一検索などで辿りついた方はすみません。)

というわけで、スクリーンショットをいくつか。Kindleはショートカットで(alt+shift+G)スクリーンショットが撮れるのです。

こんな感じ。ただ、Kindle3は現時点で「~」の記号が出ないんですね。Kindle for PCだと出ですが。あと、右下の「more」の上が消えるのはどうやら仕様のようです。英辞郎を使っていても同じ現象が起こるのですが、業者さんのせいではなかったということですね。

辞書を選ぶとこんな感じ。但し、とても重い。英辞郎よりデータ量が少ないのにこうなのは、たぶん辞書を作る際のhtml分割数が少なかったのではないかな、と反省。一般的な独独くらいにしたつもりなのですが。
//訂正:そのあと使っていたら特に遅くはありませんでした。

まあ、活用形が拾えないので、実はあんまり役に立ちません。むしろ、英和以外もいけるぞKindle! という将来性のアピールとして、参考になればなどと思いつつ。

2010年9月22日水曜日

きんどる五段活用

相変わらずきんどってます。これはほんとに楽しい。出かけても、寝転がっても、お風呂に入っても(要ジップロック)、それにパソコンで文章の校正をするにも、Kindleで見てやった方が実際の本っぽくて作業がはかどったり。辞書を変えてみたり、プロジェクト・グーテンベルクでテクストを漁ったり。Kindle用のフォーマットのものがダウンロードできるので、楽ちんです。

ただ、英語以外はまだ手ごわいですね。いろいろネットをさ迷って、英語を読み久しぶりにコマンドプロンプトを起動し、初めてPythonの実行ファイルを使って、どうにかドイツ語の辞書を用意できたものの、活用形や複数形を元の形で表示してくれないので(英語はできる)、まだまだ実用的ではありません。その上、ドイツのグーテンベルクさんは、Kindleに優しくないので、結局英語版のグーテンベルクにある数少ないgermanyのテクストを放り込むくらいで、なかなか読みたいものもなく。

という具合で、4日たって読んだのが、ウォルポールの「オトランド城」と漱石の「倫敦塔」。考えれば、どちらも建物で、しかもイギリスづいている。どうせならイギリス人作家のイギリス建物話を読めばよかったかもしれない。

しばらくはこれで英語の長編でも読んで遊びたいな、と思いつつ、もうすぐ新学期ですね。

2010年9月19日日曜日

ロシア旅行の終わり

 10人の旅の仲間と共に秋のモスクワ、ペテルブルクを旅してきた。たかだか一週間ちょっとしかいなかったのに、何だが一つの季節を過ごしてきたかのような気がする。ロシアは欝な気分で旅行するものと思っていたけど、お祭りみたいに楽しい旅だった。

 以上、取り急ぎ帰国報告までに。詳しい話はいずれまたミーチャに語ってもらいましょう。俺はしばらく論文に専念したいと思います。

2010年9月18日土曜日

Kindle now!

Kindleが我が家にやってきました。写真はありません。実物を見たい人は水曜日に勉強会に来てください。

感想を長々と述べたいという気持ち以上に、いろいろ遊んでいたいので、簡潔に特徴だけ。

1.英語の作品、または日本語の著作権切れ作品をたくさん読みたい人には最適。
2.動きは全体的に重いので、3Gが使えるけどブラウジングはあまりする気にならない。非常用およびAmazon.comのものを買うとき用。
3.画面の反転は目が疲れそう。ただし、文字を読むだけならページの切り替え時だけ目を閉じたりしてれば大丈夫。
4.辞書便利。たとえ動きが重くて、なかなか対象の単語に辿りつかなくても、電子辞書引くよりはずっと早いし、たぶん目の焦点を変えたりしなくていいので疲れにくいと思う。OADとかODE(OEDではなく)が入っているので英文卒くらいの英語力があればがんがんに読める。英次郎は悪くないけど、データが多すぎるのか、辞書の反応がさらに遅くなるような。

というわけで、みんな買ったらいいと思うよ、英語でなくドイツ語が専門、とかでなければさ。

……なんて、ドイツ語が専門でもこれは楽しいので買ってよかったです。過度な期待をしなければ(ちょっとでも頑張らせようとすると、ふた昔前のPCをいじっているような重さを耐え忍ぶことになりますが)、文字を読む機械としてはとてもいいものです。

2010年9月15日水曜日

勉強会

こんばんは、編集(片)です。
またお前か、とお思いの方、そうです、また僕です。すみません。そのうち他の人も書いてくれると思うのですが、みんないろいろと忙しいので。

今日は勉強会をしました、ヴェルヌの「ザカリウス親方」の感想を言い合って。その場で、もっと人が来たらいいのに、そのためにはブログでお誘いの文でも書くべきではないか(書きたい! ではなく)、という話があったので書いている次第です。

来週は、トーマス・マンの短編を3つ扱います。岩波文庫の短編集から「幸福への意志」「餓えた人々」「悩みのひととき」。読んできて、感想を言って、感想を聞くだけです。そんなに敷居が高いものではないので、お暇な方は雑談でもするつもりで来てください。外部の人でも、こんなブログを読んでくださるような方なら歓迎です。ちなみに、本郷にある大学の、両側の大きな門の間くらいにある噴水の近くの建物の一番上の方でやっています。これで分らない方はメールにてお尋ねください。

以下、実は先に書いたけれども、こんなお堅い内容では来る人も来なくなるだろう、と思って順番を変えた、勉強会の意義についてのお話。

2010年9月13日月曜日

本郷から秋葉原までカメラ散歩などす

バルドス氏が更新するだろうと思っていたのに、完成した「本郷通り、」一部だけを持ってロシアに逃亡してしまったので、代わりに何か書きます。

最近、気温が下がって……いたのは一時的だったようですが、おかげで多少は散歩がしやすくなりました。雑誌名のとおり、編集拠点は本郷のあたりなのですが、どちらに向かっても歩いても何かしらあって、お散歩カメラなど持ってのんびり歩きまわるにはいいところです。

このあいだは、コンパクトカメラを2つ持って、本郷から秋葉原まで歩きました。そのときの写真でもいくつか貼っておこうかと思います。長くなってしまったので、「追記の区切り」というのを使ってみる。

2010年9月9日木曜日

遅々としながら進む

さて、雨にも負けず、とは宮沢賢治であって、「本郷通り、」六号に原稿を頂いたT教授の贔屓の作家ですが、昨日は大雨に負けそうになりながら作業をしました。ブログ連載「晩夏のセラピオン兄弟」(ちなみに語源であるホフマン・ドイツ語的には「ゼラピオン」)にも登場する辣腕編集員のケイシーの助けもあって、表紙は刷り終わり、紙も折り終わり、ホチキスも半分程度は終わった、というわけであとは50部ほどのホッチキス留めだけとあいなりました。ちなみに、表紙は二色から選べますが、一部印刷ミスで重ね刷りになってしまっているので、身内の方だと自覚のある方は、できるだけそちらから自分の分を確保していただけるとありがたいです。

2010年9月6日月曜日

晩夏のセラピオン兄弟 4

ケイシー・ツボノヴィッチは語り終えた。沈黙が辺りを支配した。ソーニャが先刻とは打って変わった静かな調子で言った。「そう、過去は突然思いがけない形でやってきて、あたしたちを脅かすのね。過去を振り捨てるのは難しい。でも、それでもあたしは過去を捨てたいの。思い出さなければ、それは存在しないのと同じなのじゃないかしら。」
 その予期しなかった内省的な口調に、一同は驚き、そして胸を打たれた。いつまでも続くかと思われた沈黙を破って、イッペーオが言った。
「よかったら、次はソーニャさんが話しませんか?」
ソーニャは首を横に振った。その顔には神経質な笑みが浮かび、口調は蓮葉な調子を少し取り戻していた。
「あたしには語るべきことは何もないわ。あたしは今日過去を置いて来たの。あたしにはもう過去はないのよ。だから、話すことは何もなくて、ただみんなの話を聞いていたいのよ」

 とその時、今しがた店に入ってきた若い男が、セラピオン兄弟のテーブルに目をとめると真っ直ぐ近付いてきた。ジャンゴという名の、本郷通り界隈をふらついている不良だった。黒いぴったりしたズボンをはき、明るい色のシャツを幾分くずし目に着ている。頭にはつばの短いカウボーイ・ハットを斜めにかぶっている。きれいに磨き上げられた黒い拳銃の握りがガン・ベルトから突き出ていた。自分を伊達男だと思いたがっている男だった。チムニーにはあまり来ないが、たまにやって来ると学生たちにしつこく絡んで一悶着起こすのが常だった。今日は悪いことに、すでにかなり引っかけてきたらしかった。

 彼の姿を認めたとき、ソーニャがはっとした表情を浮かべた。そして投げやりな調子でぼそっと言った。
「さっそく過去の影がやってきたようね」
ジャンゴはソーニャの真横に立つと、見下すような目つきで一同をにらんでから言った。
「おい、隣町のクラウディアじゃねえか。何でこんなところにいるんだ。この子羊みてえな男たちは何だあ?」
「あたしはソーニャよ」
「ソーニャ? バカ言ってんじゃねえ。お前はクラウディアだ。まさかクライトンとこから逃げてきたんじゃねえだろうな」
「ほっといて」
「ふざけるな。俺が連れ戻してやる」
ジャンゴはソーニャの片腕を取ると、無理やり引き立てにかかった。ソーニャは机の端を握り締めて抵抗した。ケイシーがおもむろに立ち上がると、男の腕に手を置いてゆっくりと言った。
「おい、よさないか。彼女は君と一緒には行かない」
 ジャンゴは、折よく憂さを晴らす機会が転がり込んできたのを喜んで、待ってましたとばかりにケイシーの方に向き直った。
「おい、生意気な口を聞いてんじゃねえ。俺はこいつをこいつの居場所に連れ帰ろうとしてるだけだ。口出せねえ方が身のためだぞ。それにお前はこいつの何なんだ?」
ケイシーはためらわず答えた。
「彼女は僕の優しい人だよ」
その答えを聞いてジャンゴは癇癪球を破裂させた。
「俺をからかってやがるな!」
そしていきなり腰の拳銃に手をやった。固唾をのんで一部始終を見つめていた客の間に悲鳴が上がった。ジャンゴがまさに拳銃を抜こうとした瞬間、カワギシエフスキーの鮮烈な拳が宙を飛び、ジャンゴの顔面をとらえた。ジャンゴはあえなく床に伸びてしまった。
「一丁上がり。アハハハ」
カワギシエフスキーはケイシーにウィンクをして見せた。(続く)

2010年9月5日日曜日

「本郷通り、」もKindleで読みたい

相変わらず暑いですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

どうでもいいことですが、「本郷通り、」編集部ブログはかつて、「本郷通り 編集部 ブログ」と打たないと検索上位に来なかったのですが、今では「本郷通り 編集部」や「本郷通り ブログ」だけでも引っかかるようになりました。いずれは「本郷通り」だけでも検索できるよう、これからも鋭意頑張りたいと思います。(ものすごい篤志家の方がgoogleに大量の広告を……いやいや、地道に頑張りましょう)

ついでに業務連絡を。水曜日、残りの製本を終えてしまおうと思います。色紙は先週50部買ったやつを追加で買っていきます。残っている過程は、表紙の印刷と、重ねて折るのと、ホッチキスとです。いい加減完成させて、次の週が集中講義で毎日開室なので、どんどん持って行ってもらいましょう。

ついでに個人連絡も。体調を崩してた間に予算の申請とかがぎりぎりになってしまったので、資料集めの海外旅行は延期します。代わりといってはなんですが、Kindle3を発注しました。注文殺到みたいで、届くまでにまだ2週間くらいかかりそうですが、休みの終わりはこれで遊ぼうと思います。ちょっと調べたら、青空文庫のzipを縦書き・読みやすいフォントにしてくれる青空キンドルだとか、英辞郎のKindle対応版だとかすでにあって、英語音痴な僕でも楽しめそうです。

といった感じ。幹事と言えば(と編集(片)は意識の流れ的に思い出した)、編集(河岸)氏が研究室のページに合宿の幹事レポートを書いているので、こんな文章を読むくらいお暇なら、そちらもぜひごらんください。

2010年9月2日木曜日

バラ色の街角に消えた女 2

第一章 事件

 
 「あの人じゃないか。」はっと立ち止まるとトミー・ヌードルスは振り返った。
薄暮の中、その日最後の講義を終えた学生たちの間をぬって、一人の女性が足早に歩きすぎていく。その後姿を見間違えるはずはなかった。以前にも二度ほど帰りがけに偶然一緒になったことがあった。それからの日々、再び彼女に行き合わせることを心のどこかで絶えず夢想していた。同じような夕暮れ時、その不思議なほどに周囲から浮き立って見える彼女の姿を、学生の群れの中に無意識のうちに探したりしていた。だが、その邂逅が今日訪れるとは思っていなかった。だから不意に視界をよぎったその姿は、まるで一つの幻のようだった。トミーは鼓動の速まるのを感じながら、図書館へ行くのを取りやめて踵を返して彼女を追った。一瞬の逡巡の間に、彼女はもうかなり行き過ぎてしまっており、大きな構えの校門を出るところだった。校門の陰に隠れて姿が見えなくなった。だが行先はわかっていた。以前のときと同じく、そして他のほとんどの学生たちと同じく、門に面した大通りを左に行き、最寄りの地下鉄の駅へと向うはずだった。

慌てて門を出て視線を左に遣ると、その先に彼女の姿はなかった。駅へと向う見知らぬ学生たちがまばらに歩いているだけだった。虚を衝かれて視線をさまよわせると、大通りと交わる細い横道の一つに今しも彼女が入っていくところだった。なぜ? 疑念が胸をよぎった。後姿を見送りながら、その横道の先に何があるのか、思い巡らした。何も思い浮かばなかった。そこは、人家が軒を並べているだけのありふれた住宅街で、ほとんどの学生にとっては異国のようなものだった。だから、これからみなが電車に乗って、家に帰るなり、歓楽街にくり出すなりしようという時間に、わざわざそんな横道に入っていく理由があろうとはとても思えなかった。しかも彼女の足取りは確固たるもので、気ままな散歩者のそれではなかった。トミーは考えあぐねて、しばしの間立ち尽くしていた。彼女の後姿は一つの謎だった。暗い想像を誘う一つの謎だった。

そのとき、遠く彼女の手もとに何かがちらっと光った気がした。鏡のようだった。彼女はそれを顔の前にかざした。それは、残照を反射して一瞬鋭い光を放つと、すぐにかばんにしまわれた。やがて彼女の姿は小道の奥に消えて見えなくなった。暗い好奇心の虜となった彼は、最後のためらいを捨てると、後を追ってほの暗い小道へそっと入っていった。

2010年9月1日水曜日

ゲーテ・インスティテュート

編集(河岸)氏の投稿を見て、たしかに、せっかくネットなんだから画像くらい使ってみた方がいいなあ、と思ったので、ちょうど今日、はじめて赤坂の「ゲーテ・インスティテュート」に行ってきたその写真でも。
青山一丁目から、通りをまっすぐに歩くと、NTT ComunicationsやらSCEIの先にカナダ大使館が見えてきます。

なんか、写真を入れたら勝手にtableタグが挿入されていやな感じだけれども、修正するのも面倒なので、投稿してみてひどい結果になっていなければ気にしないことにしよう。さて、なお少し歩くと、こんどは高橋是清の家だったというところに公園が。
都会だけに、虫の声がうるさいのが逆に新鮮な感じがします。この中を抜けても遠回りにならないので、どうせだから突き抜けましょう。
そして、これがドイツ文化会館にして、ゲーテ・インスティテュートが入っている建物です。正面にレストランの看板が出ているので、多少躊躇しつつも中に入ってみました。
(ここからは写真はありません。)

ゲーテ・インスティテュートは、ドイツが各国に作っている語学・文化宣伝拠点で、セルバンテス・センターや孔子学院みたいなものです。京都や大阪にもあるみたいですね。
語学学校に行きたいのはやまやまながら、先立つものが、という自分がなぜ来たかと言えば、ここに図書室があるという話を聞いたからです。案内板を見ると2階だということで、おそるおそる上がってみました。(なお、1階には、ドイツ観光案内の充実した無料パンフレットだとか、DAAD(ドイツ学術なんとか)の奨学金の告知などが貼ってあるので、それらにも目を通すといいでしょう。僕もいくつか貰ってきました。)
2階の図書室は、貸出には1年あたり3000円(学生は1500円)の会員証が必要だそうですが、閲覧は自由に行えるということで、ドイツ語の勉強にはうってつけの場所だと思いました。本に関しては、19世紀をやっている自分には多少不満もなくはないのですが、ドイツ語の本に囲まれ、置いてあるソファーに座るだけでも幸福感があります。それに辞書は大抵のものがそろっていて、机も少ないながら広く使えるので、家の近くなら文句なしに通いたいところです。(残念ながら、我が家は田舎にあるために、通うだけで片道1時間以上かかってしまうのですが……。)

というわけで、まあ、読者の皆様がドイツ語に興味をお持ちなら、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか、という具合で今日の投稿は終わり。

2010年8月31日火曜日

【試験公開】 「桃園川暗渠訪問記」画像集

折角「本郷通り、」編集部ブログが開設されたのだから、本誌での不備を補う試みも当ブログ上で積極的に行われてしかるべきであろう。
そこで、暫定編集長代行・河岸が第4・5号に掲載した「桃園川暗渠訪問記」の補足を試みる。
本誌をお読みの皆様はご承知の通り、特に5号において写真が不鮮明にしか印刷できずご迷惑をお掛けした。
今回google docsのプレゼンテーションを用いて鮮明なカラー画像集を試作したので、試験的に公開する。
より適した公開形式等もあろうかと思われるので、何か御意見等ある方は寄せていただきたい。


URLは短縮してある。
http://qurl.com/zjwtt

2010年8月29日日曜日

雑記

ある種の消極性に導かれて読書をしている。翻訳小説ばかり。
ゲーテの「タッソー」を読み、アイヒェンドルフの「予感と現在」や「のらくら者の日記」を読み、今更ながら「ドン・キホーテ」を後篇まで読み終える。そして図書館で、借りるときは楽しい、とばかりにまた本を借りてくる。ちなみに「ドン・キホーテ」は読んでも楽しかった。

勉強会をやるというので久しぶりに英語を読んだけれど、英語って難しい。こと文学の解釈に限ったら、英語は特別難しいんじゃないだろうか。いずれ、コンピュータが言語をより分析していったとき、他のヨーロッパ言語に比べて特定の意味に限定するのが難しいことが明らかになっても不思議はないと思う。

バルドス氏がバルザックについて書いている。そのバルザックの新しい選集が、芸術・狂気をテーマにしているというので借りてきた。なかなか色のどぎつい感じの表紙。しかし水声社か、こういう出版社には頑張ってほしいと思う。一方で、値段が少し高い気もしないでもなく、文学って売れないんだな、と悲しくもなる。

ところで、枠物語はどうなったのだろう。一読者として気になるのですが、バルドスさん。

2010年8月28日土曜日

バルザック記念日 (ミーチャのアルバムより)

 ミーチャはとうとうバルザック全集を手に入れた。古本街をぶらついているときに、安く売りに出されているのを見つけて即座に購入を決意したのだ。その二日後に、大きな段ボール箱にぎゅうぎゅうに押し込まれたバルザック全集が届いた。この一箱の中に巨大な世界が隠されているのだ、とミーチャは思った。

 ミーチャがはじめてバルザックを読んだのは、ちょうど一年前の夏だった。それは、誰しも身に覚えがあると思うが、何となく人生に裏切られたような気がして胸の疼く日だった。ふとミーチャはもう一度『ゴリオ爺さん』に挑戦してみる気になった。今まで幾度か手にしては、その度に冒頭のくだくだしい描写にあっさり匙を投げていた本だった。だがその日は、そのくだくだしさにも耐えられるような気がしたのだ。

 三十分後、ミーチャは今までの自分の非を悟ることになった。今まで目にしたことのない激しすぎる情念のドラマが、そこに描かれていた。夢中になって読み進めながら、ミーチャは自分の胸の中に地震が起こったかのではないかと思った。「地震! それは愛の秩序までひっくり返すものと見える」。青臭い、世間知らずの青年にとって、それはまさに地震のようなものだった。いわば、ゴリオ爺さんとヴォートランがラスティニャックに果たした役割を、バルザックがミーチャに対して果たしたのであり、そしてバルザックほど世界を教える教師としてふさわしい者はいなかった。安易に過ぎる日常にあって誇るべき経験を何も持たない青年に、バルザックは世界の栄光と悲惨を惜しげもなく描いて見せた。もちろんミーチャの周囲の世界は、バルザックのパリに比べればはるかに慎ましいものだが、それでも青年にとって世界は常に闘争の場である。バルザックの世界を知ることで、ミーチャは自分の世界を相対化するまなざしを獲得したのであり、それはほとんど強さといってもよかった。

 ミーチャは届いたばかりの全集から早速一冊を選び出し、読み始めた。「ド・カディニャン公妃の秘密」。バルザックの人物再登場の手法が最大限に生かされた中編である。懐かしい顔が多数登場する。かつての軽薄な社交界のダンディたちが今や大物政治家になり、若々しい高潔な情熱に燃えていたセナークルの面々もそれぞれの道を歩んでいる。リュシアンやクレティヤンは、もうこの世にいない。ヒロインは先のモーフリニューズ公爵夫人、現カディニャン公妃だ。「パリでは、善きにつけ悪きにつけどんなことでもできぬことはないが、こうした怪物的なパリが作り上げた最もすぐれた女の一人であったあでやかな公妃は、夢に描いた天使となった。もっともこうした形容は、不幸にして非常に俗悪になってしまったが」。いかにもバルザックらしい文章を目にして、ミーチャは興奮した。

2010年8月25日水曜日

片面印刷

今日は「本郷通り、」6号の修正と片面の印刷に終わってしまったので完成は来週かその先くらいでしょうか。
回を重ねるごとに、プリンタの設定とかは使いこなせるようになって、前はB5で一ページずつ印刷してリソグラフのガラス板でできるだけ平行に並べたりしていたけど、今では最初からB4表面だけ・裏面だけ、とかで出せるようになりました。これで左右がでこぼこになったりはしないはず。
一方で、自分でも気づいているのですが、手を抜くところは抜くようになってしまって、これについては印刷しながらこれでよかったんだろうか、などと葛藤もあり。前は余白に次号の特集の説明を入れてみたりとか、編集段階での遊びがあったんですが、今はつい、原稿を集めた、流し込んだ、一丁上がり的なルーチンワークで終えてしまいます。せっかく編集を自分たちでできるからこそ、そこに可能性を探すというか、遊び道具を見つけるような姿勢は忘れずにいたいな、とこれが次号に向けてのちょっとした反省。

しかし、今日は嘱託の方を除くと、先生1人と外部の人1人にしか会いませんでした。みんな充実しているんだなあ、このリア充め。まあ、B4の白紙に「本郷通り、」の文字列が刷られていくとき、文字はリアルの重量を獲得するわけで、そういう意味ではこれも電脳充に対するリア充には違いない。

ブリキの太鼓

自分ばかり書いて…という気もするのですが、まあいいだろうということで。
ようやく『ブリキの太鼓』を読み終えました。『ヴァインランド』『賜物』と、河出の全集から3作読破しましたが、その中でもボリューム感は断トツで、疲れたし、「もう読みたくない」という気持ちに駆られること幾度、という感じではありながら、やはり読まれるべき作品だな、と。
戦争を扱った作品ですが、目を逸らしたいけれども、目を向けるべき、そしてどこか抗いがたい魅力がある、というまさに戦争に対して人が抱く態度をそのまま感じたとも言えるでしょう。そして本としては長すぎるけど、戦争を一人の作家が描くにはこれでも短すぎるかもしれない、などと思いながら読みました。
グラスの調理法がまた見事で、このグロテスクさと、少年のクールさ、しかし読んでいてこのクールさがかなり客観性を欠いていると気づくわけですが、そうしたものが不気味ながら魅力的です。モダニズム(意識の流れ)やドイツの伝統(教養主義)をちゃかすその態度もまた戦後的です。そうした時代の記録、文学史の記念碑としても価値があるでしょう。

まあ、体力があるうちに読んでおくべき本のひとつではないかと。それにしても、池内さんのこの訳ほか、ここ最近、優れた翻訳家が、それでも必死にならないと太刀打ちできないような力作の翻訳が続いていて、読者としては大変だと思いつつも嬉しい限りです。もっと若くて、先達に負けない訳者がどんどん出てくるといいですね。
(と、ここで一つ宣伝を。その若手翻訳家として大活躍中のFさんから今回も「本郷通り、」に原稿を頂きました。ファンの皆様はお楽しみに。)

2010年8月24日火曜日

もうすぐ完成

さて、なんだか枠物語のようなブログになっていて、完結まで別のことを挟むのは差し控えようなどと思っていたのですが、「本郷通り、」の次号をお待ちの全国150名(平均発行部数)の皆様にご連絡をと思いまして。
「本郷通り、」6号は、特集:宇宙が小特集:小宇宙になってしまった感がありますが、無事ゴール一歩手前まで漕ぎつけました。あとは発見した誤字などを直して、リソグラフで手作りするだけです。そう、いまどきリソグラフなんですよ、コスト削減のために。それでもガリ版の時代に比べればずいぶん楽になりました。

いずれは電子出版なども考えつつ、ホッチキスで留められた安っぽい紙の束にもどこか愛着を覚えつつ、われわれは複製技術時代の芸術を生きていますよ、ベンヤミン先生。これが芸術と言えれば、ですけどね。

2010年8月23日月曜日

祭りの夜 (ミーチャのアルバムより)

 祭りの夜だった。ミーチャは仲間と連れ立って、華やいだ町の目抜き通りをゆっくりと歩いていた。両側には電燈に明々と照らし出された屋台がすき間なく立ち並んでいた。怒号と呼び声が飛び交い、雑多な匂いが混じり合う中を、人々は少しの抵抗もままならないまま、同じ方向へと押し流されていた。ひしめく頭の上には、わずかな風にゆらめく提灯の列。それは白夜の明るさを持った、炎熱の夜だった。

 道は広場へと通じていた。広場の中央には巨大な櫓が高く組まれ、その頂でバンドネオンとバイオリンとギターとコントラバスからなるバンドが静かに準備をしていた。その周りを人々が幾重にも輪をなして取り囲み、最初の合図を今か今かと待っていた。タンゴがはじまろうとしていたのだ。やがてコントラバスがリズムを打ち始め、ギターとバイオリンが加わり、そこにバンドネオンの旋律が鮮やかに入り込んできた。人々は踊り出した。ミーチャたちもその輪の中に飛び込んでいった。

 同じリズムが変則的な拍子をはさみながら繰り返され、それに合わせてバンドネオンとバイオリンが競い合うように旋律をかき鳴らし、音楽は次第に狂熱の度を増していった。人々は思い思いに踊りまくり、列は乱れ、手足が交差し、かけ声とあえぎ声が音の合間合間に響いた。輪の一番外側ではビールが無料でふるまわれ、こらえきれなくなった売り手たちが続々と踊りの輪に流れ込んだ。危険なほどに高まる熱狂を少しでも冷まそうと、四台の放水車が雨を降らせたが、それもかえっていっそう人々を興奮に駆りたてるかのようだった。

 だが狂騒の時間にも終わりがやってきた。バンドが最後の曲を演奏し始めた。アストル・ピアソラの“Oblivion”。それは、それに合わせて踊るような曲ではなかった。静かに耳を傾けるべき曲だった。くすぶる喧噪を覆いつくすほどの静寂を、音楽は放っていた。宴は終わり、熱狂は遠のいていった。

 快い疲れの中で音楽を聴いていたミーチャは、隣に立っている親友のイリヤに言った。
「俺はしばらく国に帰ろうと思うんだ。三年ぶりにね」

2010年8月21日土曜日

花火 (セラピオン兄弟3)

(「昨日のことなんだけど…」とツボノヴィッチは語りはじめた)

 夜、駅前を歩いていたら、あれー久しぶり、と浅黒い肌の青年に話しかけられた。僕はそれが誰だかわからなかったけれど、ああ、と曖昧な返事をした。青年は嬉しそうににこにこ笑い、僕の肩を叩いた。いや、ちょうどよかったよ、今みんなで公園で花火しようと思ってたんだ、一緒に来いよ、もうみんな待ってる。青年は、缶ビールがたくさん入ったコンビニのビニール袋を掲げて、目の前の公園を指した。いや、ちょっと、と口ごもりながら断ろうと思っているうちに、青年にぐいぐい引っ張られて、僕はそのうち観念した。誰なのかさっぱり思い出せないけれど、どこかで一度だけ会ったことのある友人の友人とかかもしれない、集まっているみんなとやらに会えばわかるかもしれない。

 暗闇に沈みかけている小さな公園には、十人くらいの男女が集まっていた。浅黒い肌の青年と僕は、大げさな拍手と歓声で迎え入れられた。しかし誰の顔にも見覚えはない。というか、みんな同じ顔、たとえるなら狐のような顔をしているように思えた。でもそれは薄闇のせいかもしれないし、青年に手渡されたビールを飲みはじめた僕にはもう、どうでもよかった。

 打ち上げ花火、線香花火、ねずみ花火。僕たちは次々と花火に火を点け、そのたびに歓声をあげ、手をたたき、笑いあった。僕は最後の打ち上げ花火に火を点けた。花火はひゅるる、と心細げに空に上り、それから鮮烈な破裂音とともに空一面に花開いた。これはすごいな、と言いながら僕は上機嫌でみんなの顔を見た。花火の光に一瞬照らし出されたみんなの顔は、誰一人笑っていなくて、ただ怖い目でじっと僕を見つめていた。花火が消えると、辺りはいつの間にかすっかり深まった暗闇に包まれていて、そこには空になった缶ビールを間抜けに握りしめた自分以外に誰もいなくて、そもそも駅前に公園などなかったし、どこだかわからない荒涼とした土地に僕は茫然と立ち尽くしていて、風が静かに唸りをあげ、さっきのみんなの冷たい視線がいつまでも僕の過去を厳しく責め立てているような気がして、酔い心地が吐き気に変わり、僕は耐え切れずにぎゅっと目を瞑り、世界は本当の闇に沈み込み、それから背後で微かに秋の虫たちが鳴き始めた。

2010年8月19日木曜日

晩夏のセラピオン兄弟 3

 カワギシエフスキーは語り終えた。異国の奇怪な果物を食べた気分だった。奇妙な、だが決して不快ではない後味をゆっくりと消化するように、みなはしばらく黙り込んでいた。そのとき、カウンター席にいた黒いドレスの女が、グラスを片手にふらつく足取りで、セラピオン兄弟のテーブルに歩み寄ってきた。半ば入ったままのグラスを投げ出すようにテーブルに置くと、女は言った。
「ねえ、あたしも仲間に入れてよお。あたしね、さっきまで泣いてたんだけど、あんたの話聞いてたら泣きやんじゃったわよお。」

 カワギシエフスキーを見つめる眼差しは、どこか遠くを見ているかのように頼りなげだったが、涙にぬれた血走った眼の奥には、人を惹きつけずにはおかない光があった。語り終えたばかりの高揚とした気分の中で、カワギシエフスキーが言った。
「どうぞどうぞ、こちらにお座りなさい、アハハハ」

 女はソーニャと名乗った。こうしてセラピオン兄弟は思いがけない仲間を迎え入れた。簡単な自己紹介の後で、ソーニャが隣に座っているツボノヴィッチに言った。
「ケイシー、次はあんたが話してよ、あたしの優しい人」

 ツボノヴィッチは唐突なリクエストに温かい笑顔で答えた。ビールでのどを潤した後、彼は語り始めた。
 

饂飩男Ⅰ あるいは、野菜泥棒最後の秋 (セラピオン兄弟2)

「……知り合いの〈饂飩男〉の話なんだが、それじゃ、小説のスタイルでやらせてもらおうかな」
カワギシエフスキーは言って、朗読するような調子でやりはじめた。



  *  *  *

小学四年の秋以来、国語の授業やらで話題が漱石の名作に及ぶ度に喬は「おまえは猫か」とからかわれ続けてきた。彼があの高名な猫と「名前はまだない」という点で共通していたためである。勿論、喬というのは立派な名前だ。それでいてなぜ「名前はまだない」なのかというと、種を明かせば、それは喬の苗字がじつに珍しい馬田内なるものであったという真実に由来する。確かに名前はまだない。
はじめて「猫」と囃されてから十年近い時が、三年ほどに感じられる短い間に流れた。そのある年の秋のじめじめした深夜のことである。四五時間前に降った小雨の水玉を土埃まみれの葉の上に奇妙につやつやと戴いたホウレンソウ畑の用水路で、馬田内喬が山椒魚に似た生きものの一群に包囲されるに至った顛末を明らかにするには、まずは喬の一族の一風変った出自を語らねばなるまい。

(この間、4000字あまり省略。全容は来るべき第7号創作特集号で明かされよう)

九月十八日の午前二時、玉川上水を臨む木賃アパート二階の一室から、死にかけたノラ猫のように惨めで胡乱な影が星も見えない夜空の下にこそりと這い出してきた。十六日深夜の獲物(大根五本、葱四本、キャベツ二玉)はすべて生のままか、あるいは茹でられ醤油だけで調味されて喬の胃に収まり、大半が既に消化管をめぐる旅を終えどこか地中の下水管のなかにまどろんでいた。新たな獲物を求め、喬は仲秋の夜の大気を農協の仕掛けた罠に向かって泳ぐように突っ切っていく。上水の鯉がぼちゃんと跳ねた。

  *  *  *



「まだ続くんだが、今日はここまで。」カワギシエフスキーはそう言って話を切りあげた。
十分もかけておいて、ほんの導入部に過ぎないのであった。

2010年8月18日水曜日

晩夏のセラピオン兄弟 2

 
 …片〇氏は静かに語り終えた。聞き手たちは、「臆病な僕の取った行動」の余韻に、しばらく浸っていた。バルドスが沈黙を破った。その眼には涙が浮かんでいた。
「ひぐらしが鳴きはじめたよ。編集室は閉めて、続きはチムニーでしよう」

 チムニーは『本郷通り、』編集部の行きつけの居酒屋である。短い煙突を懸命に上空に伸ばしている、レンガ造りの古い小さな建物だ。夕暮れ時の外観は陰気だが、中はランプが煌々と燃えていて明るかった。まだ早い時間だから客は入りは少なかったが、早くも酔いのまわった学生の一団の話し声が響き、奥のカウンター席では黒いドレスの女が一人泣いていた。

 テーブルを囲んだ五人は、新たなセラピオン兄弟の誕生を祝して乾杯した。そのとき、間が悪くもバルドスの携帯が鳴った。トミー・ヌードルスからだった。席を外したバルドスは、戻ってくると言った。
「すまん、仕事が入った。トミーからだ。この事件にはもうお手上げだよ。」その顔はすでに探偵のそれになっていた。
「俺も行こうか?」相棒のショーン・カワギシエフスキーが言った。
「いや、今回は地下にもぐるわけじゃないから大丈夫だ。それにおかげで俺もマンホールのはずし方は覚えたから。これからのみんなの話、あとで全部ブログにのせてくれ、頼むよ」そう言い残して、バルドスは夜の本郷通りへと出て行った。

 残る語り部は三人だった。カワギシエフスキーとケイシー・ツボノヴィッチとイッペイ。語り終えた片〇がカワギシエフスキーを指名したので、彼が次に話すことになった。彼の頭にはすでに語るべき物語が浮かんでいるらしく、表情には活気がみなぎっていた。今まさに語り始めようとした瞬間、カワギシエフスキーの携帯にメールが入った。バルドスからだった。
「みなの名前勝手に作った。気に入らないなら変更せよ」

 バルドスの事件解決を祈って再び乾杯した後、カワギシエフスキーは歌うように語り始めた。
 

僕が乗った電車 (セラピオン兄弟1)

 駅で電車を待っていたんだ、家に向かう電車をね。セミがうるさく鳴く季節で、夕焼けと、それを突き刺す黒いビルの陰をぼけっと見つめて、空気がよどんでいるせいで、時間が動いていないんじゃないか、と思える、まあよくある晩夏の情景だね。
 電車が一つ通り過ぎた。待っていた駅は快速も停まる駅だったけど、そういう駅でも通り過ぎる特別車両というのもあるものだよね。特に不思議には思わず、次を待った。
 でも次も通り過ぎた。え? と思い、それでも待った次の電車も通り過ぎる。周りを見ても、自分みたいに困惑する人々の姿はなくて、というか僕しかいないんだ。明かりの灯らない駅舎で、僕は消えそうな夕陽を頼りに時刻表を読んだ。そこには、一時間ごとに刻まれた横線が走るばかりで、一つとして数字が書き込まれていなかった。まるで夕焼けの赤い色には反応しない、特別な透明インクで書かれているみたいにね。
 僕はもう訳が分からなくなって、とりあえず駅を跳び出した。もっと冷静にそんな不思議な状況を観察すればよかったのかもしれないね。でも、怖かったんだ、一刻も早く日常に帰り着きたい、その思いで一杯だった。人間の本質っていうのはああいうパニックのときに一番出るね。僕はどこまでも臆病者だった。
 そんな臆病な僕がとった行動は、

(この続きは、「本郷通り、」の次号、創作特集に掲載される予定です。ただしいつ出ることやら)

2010年8月16日月曜日

晩夏のセラピオン兄弟 (編集会議の後で)

 編集会議が終わった後も、我々はそのまま編集室に居残って、とりとめもない雑談を交わしていた。お互い気心の知れた仲だし、事務的な仕事の打ち合わせを終えて、みなすっかりくつろいだ気分になっていた。

 私(バルドス)は、いつものように思いつきでしゃべっていたが、ふっとその時思いついたままに次のような提案をした。

 「僕らはみんな何らかの形で文芸に携わって生きていこうとしている連中だ。普通の人よりもよく本を読んでいるし、並はずれた才能はないけど、並み以上の想像力と感受性は持っているつもりでいる。そこでだ、よくある趣向だけど、一人ずつ順番に短い物語を語っていくというのはどうだい。何の統一感がないのもつまらないから、何かテーマを決めて。…今は八月、残暑は厳しいが暦の上ではもう秋なんだね。テーマは『晩夏』でいいや。季節感を大切にしよう。それをテーマにロマンスでも怪談話でも何でもいいから、自分の知っている話、あるいは自分の創作した話を順番に語っていくんだ。どうだい?」

 一同は、顔色をうかがうように互いに見合わせていたが、みな内心乗り気になっていることは隠せなかった。「それで誰から話すんだい?」という声が上がった。バルドスが即座に答えた。

 「片〇くんからぜひ頼むよ。ひとつ、面白くて味のある話を聞かせてくれ。」

 幾度か言葉のやり取りがあった後、片〇氏はしばらく考えている様子だったが、やがておもむろに語り始めた。

2010年8月15日日曜日

Gone, Baby, Gone

 ある日バルドス探偵事務所を一人の中年の女性が訪ねてくる。彼女は町を騒然とさせている幼女誘拐事件の被害者の伯母だった。姪を見つけ出してほしい、と彼女はバルドスに頼む。警察は信頼できないから、独自に探偵を雇うことにしたのだという。力に余る事件であることは明らかだったが、必死の態度に心を打たれたバルドスは依頼を聞き入れる。

 バルドスは、アンダーグラウンドに詳しい相棒のカワギシエフスキーとともに被害者の家庭の周辺を洗い出していく。はじめは反目し合っていた担当刑事のレミーとの間にも、いつしか友情が芽生えていく。

 捜査の過程で浮かび上がってきたのは、被害者の家庭の乱脈な生活ぶりだった。母親はコカイン中毒で、麻薬の運び屋をしていたこともあった。これは組織の内紛が引き起こした事件なのだろうか。

 だが事件は思いがけない展開を見せる。バルドスは暗い予感に導かれるようにして恐るべき真実にたどりつく。すべてを知ったバルドスは、あまりにも重い選択を突きつけられることになる…。

 『ゴーン・ベイビー・ゴーン』。デニス・ルヘイン『愛しきものはすべて去りゆく』を、これが初監督作となる俳優のベン・アフレックが映画化したものである。脚本も書いたアフレックは、手堅く、隙のない演出で質の高い映画を生みだした。主人公を演じるケイシー・アフレック、レミー役のエド・ハリス、被害者の母親役のエイミー・ライアン、みな素晴らしい演技を見せる。また、物語の舞台であり、映画のロケ地ともなったボストンの町の住民が、多数出演しているが、彼らの自然な存在感が映画の雰囲気を盛り上げている。なかなか見ごたえある映画だった。

 

2010年8月9日月曜日

隘路のアイロニー

はたしてこれを書いているのは自分なのだろうか、それとも「自分」はバルドスが文字列によって規定する世界の記号にすぎないのだろうか。そんなことを考えながら、新しく買った古い辞書(1960年代以来改版されていない!)のまっさらな紙の側面にアルファベットを振っていく。この辞書に記載された記号は、50年来止まったままだ。
「本郷通り、」の作業場は来週まで開かない。となれば、来週すべきことを今やればいいのだけれど、人はそんな器用なものだろうか? もしそんな器用なものなら、人は締切りに追われたりしないのではないだろうか。

そして人生に追われることも。

夜の海 (ミーチャのアルバムより)

 傷心のミーチャは、仲間と連れ立って海辺の静養地へと旅に出た。海岸沿いにひた走る列車を乗り継いで町に着いたときには、陽はすでに沈みかけていた。本通りをはずれたところにある安い宿屋に慌しく旅装を解くと、さっそく暮れなずむ町へと繰り出した。

 かつて栄えたリゾート地も今はひなびた温泉街だが、それでも旅館や飲食店の立ち並ぶ本通りは、かつての繁栄の名残を留めていた。通りをしばらく行くと、歓楽街はあっけなく途切れるが、道はその先も長く続いており、さらに進むとやがてその向こうに海が見えた。すでに太陽は沈み、夜の闇の中で海は巨大な黒い塊のようだった。だが、風は確かに海の匂いと波の音を運んできた。

 ミーチャの一行は、人気のない浜辺に下り立った。海は月の光に照らされて鈍く光っていた。一人が裸足になってズボンの裾をめくり上げると、歓声を上げて海へと駆け出した。残りの者も遅れじとそれに続いた。一人残ったミーチャは、じっと海を見ていた。夜の海。それは物憂い眼差しで眺めるものではなかった。呼び招く波のリズムに誘われるように、やがてミーチャも海へと入っていった。足の裏を柔らかく押し返してくる砂土、冷たく優しく肌を撫でる水。暗い海の中を歩きながら、ミーチャははじめて声に出して言った。「俺ははげしく生きたい」と。

 その瞬間、軽快な破裂音を立てて遠く花火が上がった。青い光がさっと空と海を照らした。「青玉のしだれ花火のちりかかり消ゆる路上を君よいそがむ」。昔覚えた歌をふっと哀しく思い出しながら、それを振り払うように、ミーチャは入水者を思わせる確固たる足取りで更に深く進んでいった。

2010年8月8日日曜日

バラ色の街角に消えた女 1

 プロローグ

 事務所の扉を静かに開けて遠慮がちに入ってきた男は、間違いなくトミー・ヌードルスだった。少し痩せて、6年の年月が経ったことを思わせるくらいには老けていたが、昔のままの底抜けに人の好さそうな顔をしていた。かけている丸縁眼鏡も昔と全く同じものに見えた。私を見ると、急に遠慮を捨てて興奮気味にずかずかと歩み寄り、こちらの差し出した手を強く握りしめた。

 トミーは私の高校時代の友人だった。あの頃のことについて言うべきことは特にない。あれから6年の月日が流れた。それは若者にとって決して短くはない年月だ。トミーは今は小児科医の卵で、私はこうして編集業務に追われ、そのかたわら探偵稼業を行っている。

 トミーは、私が探偵事務所を開いたことを人づてに聞きつけ、私に相談したいことがあると連絡を取ってきたのだった。どうしても直接会って相談したい、一人で考えるには重すぎるんだ、と言うその声は、電話越しに聞いている分には、そんな切迫した問題を抱えている人のものとは思えなかった。いつも興奮していて、理由もないのに楽しそうで、突然甲高い声で笑い出す、昔の彼の姿がそのまま脳裏によみがえってきた。だからこそ、逆に気がかりでもあった。あのトミーが何か事件に巻き込まれたとしたら、きっと深みにはまり込まずにはいられないだろう、という気がした。そして事の重大さには気付かないままに、いつの間にか事件の中心人物になってしまっているのではないか。

 一通りの挨拶がすんだ後、私の前に腰をおろしたトミーは、不意に甲高い声で「俺の恋愛話を聞いてもらいたいんだ」とにこやかに宣言した。その時点で嫌な予感がした。早口でまくしたてる彼の話を聞きながら、私はその予感が的中したことを悟った。


 

2010年8月3日火曜日

そろそろ世代交代

さて、7月に出たはずの「本郷通り、」ですが、出てません。
私の不徳の致すところでありまして、もう今号で責任をとって編集から降りようかな。
とりあえず、一番「これだけはないと出せない」という原稿が届きましたので、
そろそろラストスパート、お盆明けには出そう、と思っています。
といってもこればっかりは、僕が頑張ってたくさん原稿を書くというわけにもいかないので。

編集者にもっとも必要なのは、原稿を督促するスキルではないかな。自分にはこれがまったく足りません。

2010年7月30日金曜日

温故知新というか

『フランツ・シュテルンバルトの遍歴』を少しずつ訳していて、ようやく1/4程度? 第一部第一巻の最後に辿りつく。5万2千字くらい。ミスだらけだと思うので、あとで通して原文と照らさないと。
ふだんはいろいろな辞書を使っているけれど、やっぱり『独和大辞典』は例文が多くていい辞書です。それでもたまに他の辞書にしか載っていないこともある。読み直しの前に、高いけれども相良大独和を買おうかな、と(1万5千円くらいする)迷っているところ。
そういえば、木村・相良辞書で有名な木村謹治さんの息子さんが木村彰一さんなんですね。外国文学の研究者は2世が少なからずいますが、これまたすごい組み合わせだな、と。

2010年7月28日水曜日

マロニエ通り、夏 (ミーチャのアルバムより)

 「マロニエ通りを行く人は、みな華やかに見える。僕らもきっと例外ではない。季節は若く、僕らも若かった。」
 
 という昔読んだ感傷的なフランスの小説の冒頭を思い出しながら、ミーチャは同じ名前の通りを亜麻色の髪の女の子と並んで歩いていた。だが心ない、とはいえ何の罪もない彼女の一言のせいで、そんな甘やかな気分も消えてしまった。

 今ミーチャはレールモントフの詩を繰り返し口ずさんでいる。

 「空しく、味気なく、悲運のときに手を伸べる人もなく。希望よ! 甲斐もなく望み続けることに何の意味があろう。月日は流れすぎて行くのだ。すべての美しい日々は。」

2010年7月24日土曜日

原稿

原稿が集まりません。こうなったら上下分冊で出してしまおうかな。
意外と不評じゃなかったらそれはそれで困るだろうなあ。
「あ、今回原稿落としそうなので下巻の方でお願いします」
とかみんなが言い出したら、上巻が出なくなり、上巻が出なければ下巻の締切りはこない。


それはそれで少しだけ平和になる気もしないでもない。


……と、とにかく、7月中に出すという目標は最後まで譲らないですよ。

2010年7月21日水曜日

バルドス探偵事務所

 ここにはまだ記せない理由から、探偵事務所を開くことになった。事務所は「本郷通り、」編集室を兼用することにする。編集委員のみんなには、迷惑をかけることをお詫びしたい。

 おばさん、もう少し待っていてください。ボヘミアンのおじさんは、僕が必ず見つけ出します。おじさんは、ある事件に巻き込まれているんです。ただ、被害者でも、もちろん加害者でもありませんので、その点はご安心ください。今はまだ、それ以上何も言えません。

 ボヘミアンのおじさんとの思いがけない邂逅から、なぜか探偵事務所まで開くことになった。初仕事は「バラ色の街角に消えた女」という事件だ。いずれ詳しいご報告ができるだろう。

2010年7月19日月曜日

お願い

 バルドスさん、ボヘミアンの妹でございます。お話は兄より聞いております。兄と仲良くしていただいて、本当にどうもありがとうございます。まだあなたにお会いしたことはございませんけど、でも何だかもう私たちの親しい友人という気がしています。

 それであなたのご好意をあてにして、ひとつどうしてもお願いしたいことがあるのですけど、兄が一昨日私どもの家に遊びに来るはずでしたのに、まだ参りませんし、何の連絡もございません。どうしたのでしょう。心配でしかたありません。どうか、兄を探していただけませんか。池のほとりにいるのならいいのですけど、そのときは何があったのか事情を聞いてみてください。どうぞお願いいたします。

 乱文乱筆にて失礼いたします。ご連絡をお待ち申し上げております。
    
                                               ボヘミアンの妹より

2010年7月18日日曜日

梅雨明け (ミーチャのアルバムより)

 梅雨がやっと明けた日の朝、ミーチャは窓辺に立って、切に待ち望んだ太陽を拝んだ。「胸の中の梅雨も明けてくれればいい」と彼はひとりごちた。ミーチャのささやかな遍歴の日々が始まろうとしていた。

アウトプット

昨日は、他の人の学士・修士論文の中間発表というものを聞いてきました。自分より学年が下なので、専門用語の雨あられで何にも分からん、ということもなく、
(いや、何より彼らがちゃんと人に伝わるような内容を用意していたということでしょう)
さすがに朝から晩で疲れたものの、とても刺激になる一日でした。

まあでも、窮鼠猫を噛むというか、書かなければならない、となったらみんなあれだけいろいろ持ってくるんだから、大したものです。むしろ能ある鷹は爪を隠すと言ったほうがいいのかな?
「本郷通り、」は読み手と同じくらい書き手のためにあると、少なくとも現時点では思っていて、何かを発表する場があることの大事さだとか、書き手の立場になってみることで読みを深める重要性だとか、そういうことを私は意識しています。

ならもっとちゃんと毎号出せって話ですよね。すいません。いっそ締切りを厳密にして「時間に追われてひどい原稿を出す」悔しさなども経験できるようにしようかな……いや、それは自分の首をしめるだけか。

2010年7月17日土曜日

暫定編集長代行の厄年と引越し

第6号に載せる原稿がさっぱりはかどらない。肝心な学業もややスランプ気味であるし、あれもこれも停滞しつつある。本当に困ったものだ!
そういえば、今年は数え25の男の厄年なのだった。卒論を無事に出し院試をどうやら乗りきったまでは良かったが、あとは空回りしてばかりの今日この頃だ。例年なら通ったはずの入学金免除申請も通らず、食費にして一年分以上も取られてしまった(審査が厳しかったのは事業仕分けのせいとの説があるが、それが本当ならまさに年が悪かった!)。あと半年足らず、何とかやり過ごしたいものである。

さて、しようしようと思いつつさっぱり進捗しないものの一つに引越がある。財政改革を期して、定期代の要らない学校近辺の古いアパートに越して来たいのである。そうして住居費と通学時間の削減が実現できれば、多少賃労働で資本を得るゆとりもあろうというものなのだ(いま『清老頭と資本』という洒落が思い浮かんだ)。
しかし、夏は暑い。物件を回ったり引越屋を雇ったり諸々の手続きをしたりする気が起きぬ。わが気力たちはニートの如く体内だか脳内だかの一隅に引きこもったきり出てこない。本当に困ったものだ!
まあ、単位は足りそうなことであるし、10月以降の学期中のウィークデイを一二週ぶん引越に割いても別にさほどの痛手はないのだが……。
しかし、秋冬に探した一見良さそうな部屋は、実は夏にはGKBRが猖獗を極め藪蚊が血という血を奪いに襲来するゲヘナ(ロシア語だとгеенна。いま「わにのгеенна」という洒落が思い浮かんだ)である可能性を持っているのだ。昭和なボロアパートとなればなおさらその危惧は見逃せないのである。さすれば、やっぱり夏のうちにどうにかすべきなのか。しかしやる気が起こらない。ああ何たる堂々巡り。本当に困ったものだ!

2010年7月15日木曜日

桜桃の味

 今年最初の、そしておそらく最後のさくらんぼ(親切な人が分けてくれたのだ)を食べながら、子供の頃を思い出していた。もうずっと昔、50年以上も前のことだ。
 親の仕事の関係で、学期の途中に東京の小学校に転校することになった。越してきた当初は、慣れない土地で友達もなかなかできず、学校がひけた後、四つ下の妹を連れて、近くの公園で静かに遊ぶ日々が続いた。
 ある日、今日のような梅雨の晴れ間に、いつものように公園で遊んでいた私たちは、地面の一部が紫色にまだら模様をなして染まっていることに気づいた。桜の木の下だった。見上げてみて、葉に隠れるようにしてさくらんぼが実っているのを発見したときの驚き。わたしたちは途端に元気づいた。食べたい、と妹がいう。桜の木は、決して小さくはなかったが、枝を幾重にも大きく広げているので、幼い私にも少し頑張れば登れそうだった。
 私は木によじ登り、手近の枝をつかんでいくつかのさくらんぼの実をもぎ取った。そして妹と分け合って食べた。小さくて、色づきも悪く、口に含むと苦い酸味ばしった味が広がったが、それでも舌先に残る確かな甘さがあった。
 
 あれから50年が経った。妹はもうすぐおばあちゃんになろうとしている。家に残っていた末の子供もこの春に独り立ちした。今は退職した夫と二人のんびり暮らしている。時代遅れのアナーキストで、今はボヘミアンの暮らしを送っている兄の私が、たまにふらりと訪ねると、少し困った顔を見せながら、それでもあたたかく迎えてくれる。

 妹よ、あのさくらんぼの味を覚えているか? またお前のところへ行きたくなったよ。
                          
                                 池のほとりのボヘミアンより

 

2010年7月13日火曜日

池のほとりのボヘミアン

 今日はバイトがなくなったので、暇でもないのに暇なつもりになって、心字池をぶらぶら散歩した。池のほとりでは、たびたび見かけるボヘミアン的なおじさんが、いつもの場所に陣取って、鋭い目つきで辺りを見回していた。今日は関わりたくない気分だったので、話しかけられる前に逃げた。以前、突然呼び止められて、ずいぶん話し込んだことがあった。悪い人では決してないが、変人であることは間違いない。日本の俳句を英訳してるんだ、と言っていた。小さな手帳を開いて見せてくれたのだが、実際、そこには英語で何やらこまごまと書かれていた。翻訳の良し悪しは自分にはよくわからないが、様になっているようには見えた。昔アメリカにいたらしく、英語はかなり流暢で、そのとき僕の隣にいた留学生がアメリカ出身だと知ると、早速よどみない英語を披露して見せた。
 ただ、このおじさん、多分に国粋主義的なところがあり、突然熱くなって日本のふんどし文化を礼賛し始めた。パンツはけしからん、と言う。「俺は、ここで週に一回ふんどし講習会を開いている。ふんどしの巻き方は、基本は同じだが、工夫次第でいろいろとヴァリエーションを増やせる。俺は10通りの巻き方を編み出した」と自慢げに語っていた。でも当の本人がふんどしをまとっているようには見えなかった。
 今日見た限りでは、おじさんはまだまだ元気そうだった。きっとまた会うこともあるだろう。そのときは、また立ち話してみようかと思う。
 

暫定編集長代行の日常

はじめまして。前号より暫定編集長代行を勤めております河岸と申します。
編集(片)氏が現在事実上編集長業務の殆んどを担っている状況でありますが、肝心の私はすっかり業務を離れうろうろさまよっております。本当に困ったものだ!

それはさておき、お目汚しに私の近況をば。
現在第6号に向けマンホールについて記事をまとめております。
探してみると、下水道・マンホールに関した専門的資料も意外と大学内に所蔵されているものでして。
今度工学部14号館図書室やら農学部図書館やらという謎の場所に虎児(=昭和4年の下水道標準設計図etc.)を得に赴かんと思っている次第。

とりあえずこんな具合。

2010年7月11日日曜日

プーシキン追悼の夕べの集い

 昨日は、プーシキン追悼の夕べの集いがあった。メイン・プログラムは『詩人の死』というプーシキンの伝記映画の上映だった。
 これは、必ずしも史実に忠実ではないのだが、詩人としての栄光から一転して、権力との駆け引きと家庭の瑣事に追われ、やがて否応なく破滅的な決闘へと至る詩人の悲劇を、わかりやすく美しく描いている。
 映画は、ミハイロフスコエ村の幽閉時代から始まる。詩人は隣村の地主の家に遊びに行き、そこで出会った17歳の少女ジジイのアルバムに即興で詩を書きつける。
 ラスト、詩人の死の報せを聞いたジジイが、少女時代のアルバムを開き、詩人の書いた詩を読み直す。その朗読とともに映画は終わるのだが、なかなか感動的なラストだった。

 人生がきみを裏切ることがあっても
 嘆いてはいけない。腹を立ててもいけない。
 気の滅入る日は、静かに耐えればいい。
 喜びの日は、きっと来る。

 心は未来に生きるもの。
 今日の日が暗くとも
 すべては儚く過ぎていく。
 過ぎ去るものは、いつかきっと親しいものとなるだろう。




 

ブックフェア

行ってきました、ブックフェア。

知り合いに会うのではないか、などと思ってもいたのですが、あれだけの人数と、またこちらも本をあれこれ見るのに夢中で、結局だれも見かけないままに一日過ごしました。

多少は電子書籍や端末なども覗きつつ、また児童書なども見てみつつ(デンマークの絵本なんか、もっとじっくり見てもよかったかな)、メインはやはり人文書や語学書。
筑摩、河出、平凡社、白水社、三修社、意外なところだと明日香出版やベレ出版、それに国書刊行会や法政大学出版の本などにも目を奪われて、しかし重い荷物を持ちかえる準備をしていなかったのもあり、あまり買えずにすごすごと帰ってきました。特に国書はいろいろ欲しかったです。
それでも一世代前の研究社羅和辞典がバーゲンで売っていて、これは! と思って買ってきました。新しい羅和の方が例文が多くて個人的には好みですが、やはり辞書好きとしては一冊は持っておきたい本でしたし、これだけでも行ったかいはあったかな、と思います。

でもなにより、あれだけの人が夢中になって本を漁っているのを見ると、まだまだ人は活字文化に(絵本などそれ以外もあるにせよ)飢えているのだな、と嬉しくなりました。一方では時代の進化やメディアの変化に目を向けないといけないとも思いますし、それはそれで積極的に向き合いたいものですが、他方、文字文化が培ってきた歴史の重みが、それらによって簡単に吹き飛ばされることはないはずで、まだまだ表現する者(とりわけ個人)とされる者をつなぐ一番の媒体は文字であり続けるのだな、などと再確認しました。

うまいこと、書き手と読み手が共存し、その間の媒体が健全に維持される状況であり続けて欲しいものです。僕らもできることはやらないと。

2010年7月9日金曜日

ノワール、マカロニ・ウェスタン

 最近の蒸し風呂のような暑さに、すっかり気勢をそがれてしまっている。映画もあまり見ていないが、くさくさした気分を打ち払うには、激しくドンパチするアクション映画か、冷たいノワール映画を見るのがいい。
 そういうわけで、『卑劣な街』という韓国ノワールをツタヤで借りて見てみた。苛烈なヴァイオレンスと緊迫したサスペンス、なかなか見応えがある。愚かなヤクザの純情が泣かせた。見て損はない。韓国の人ってずいぶんカラオケが好きなんだな、と思った。

 セルジオ・レオーネの『ウェスタン』。壮大なセットがすごい。西部の町が完全に再現され、建設途中の鉄道が走っている。レオーネらしいダイナミックな光景だ。ヘンリー・フォンダの悪役もさまになっている。見るからに憎たらしい。最後の決闘シーンでは、モリコーネの音楽が高らかになるが、こんなにカッコいい音楽を流してくれるなら、決闘も悪くないなという気になる。

2010年7月6日火曜日

第6号に向けて

さて、作りたてにしてもう放置されかかっているブログですが、それというのも、いまは「本郷通り、」6号の編集に取りかかっているから……と他にも各員それぞれの忙しい理由と、根っからの筆不精があると思うのですが、それはともかくとして、

「本郷通り、」は毎号に特集記事を設けていて、たとえば2号はロック、4号はグルメ、5号は女優など、同人誌だから許される気ままさで原稿が集まりそうなテーマを選択して、数十ページ程度それに割いています。

しかしいざ設定してから、意外と原稿が集まらない、あるいは執筆者を兼ねた編集者自身、とても自分たちでは原稿を書けない、と悲鳴を上げることになることもあります。
グルメ号がまさにそうでしたが、今号も同様に、テーマが決まってから各々が覚悟を決めるまでに、時間がかかったことかかったこと。おかげで当初は季刊を目指していた雑誌が、もうすぐ前号から1年を数えようとしています。
その前にどうにか出せるよう、誰もが忙しいなりに原稿を書き、集め、掻き集めているところです。したがってブログなど更新している場合ではありません。真綿で修羅場を迎えています。

そんな第6号の特集は「宇宙」です。いつも記事を書いてくださるあの方や、本誌には珍しい理系の方の特別記事など、皆様に楽しんでいただけそうな内容を盛り込んでいますので、もしどこかで見かける機会がありましたら(全部で100~200部程度しか刷りませんので、そうそう機会はないと思いますが)読んでいただけたら幸いです。

そういえば、次号のテーマが決まってません……。 何かお勧めのテーマなどありましたらコメントなどで提案ください。よろしくお願いします。

2010年7月3日土曜日

はじめまして

このブログは、東京のどこか、と言っても雑誌名が雑誌名だけにある程度どの辺りかは特定されると思うのですが、そこでちまちまと号を重ねる同人雑誌「本郷通り、」に関連したことを、編集担当などが書き連ねていこうという、そんなブログです。

まだ試行段階ですので、今日あると思ったら明日には消えているかもしれませんが、雑誌本体とうまく併用することで、紙媒体とネットの相乗効果など生み出せるよう編集一同頑張って……怠惰なりに……放置しないように、やってまいりますので、どうぞほどほどにご期待ください。