2012年8月27日月曜日

再会


「久しぶりだね、イッペーオ」

バルドスは旧友の手を握った。イッペーオは少しはにかんだような笑みを浮かべてバルドスの手を握りかえした。最後に会った時とほとんど変わっていなかった。それでも、会わないでいた間の年月がその表情に微かな陰影を与えていることに、バルドスは気づいた。「楽な渡世ではないのだろう」と彼は思った。

イッペーオは、セラピオン兄弟の一人で、バルドスにとっては探偵事務所を開いていた頃の相棒でもあった。ショーンを含む三人で事務所を経営し、コジが市長になった後は、彼に請われて揃って本郷市の保安官を務めた。しかし、あの政変の後、輝かしい実績を誇ったトリオも散り散りとなった。

「来てくれると思っていた」一息ついた後でバルドスは切り出した。「なつかしい。でも自分のことは後回しにしよう。実はチムニーに席をとってあるんだ。ケイシーもコジも来る。セラピオン兄弟の再会を祝すんだよ! ただ、その前に話したいことがある」

「ショーンのことでしょう」イッペーオはすべてを察しているかのように答えた。

「そう、今日事務所を再開したのは、他でもない、一緒にショーンを探しにいきたいからなんだ。再開後最初の依頼人はこの俺だよ。ショーンはあれ以来いまだに行方知れずになっている。コジが随分手を尽くしたけれど、それでも連絡はつかなかった」

 政変の時、ショーンはヨーロッパで諜報活動に従事していた。だが、セラピオン兄弟の敗北を知って、ヨーロッパに留まることを選んだ。学生時代に留学したことのあるチェコに亡命したのではないかとの憶測がなされたが、手がかりはなかった。

「ショーンのことを思い出さない日はなかったよ。ずっと手がかりを探してきた。そしてやっとそれらしきものを見つけたんだ。見てくれ」

バルドスは分厚い本を取り出した。濃いグリーンの表紙に、やや色あせた銀色の文字が浮き出している。

「これは一年前にロシアで出版された『都市と景観』という論集なんだ。この中に「暗渠と夢想」という論文が掲載されている。著者はヴィドプリャーソフという名だが、これがペンネームであることは間違いない。ヴィドプリャーソフというのはドストエフスキーの小説に出てくる狂人の名前だからね。俺はまさかと思ったけれど、どうしても気になって本を注文した。先日ようやく届いたのを読んで、すぐに確信したよ。これはショーンが書いたに違いない。著者は自らをドストエフスキーの夢想家になぞらえながら、都市を漫歩し、暗渠についての薀蓄を披露している。論文の一節にこういう箇所があってね、これは『本郷通り、』にショーンが書いた文章の一節と酷似しているんだよ!」

夢中になってしゃべり続けていたバルドスは、本を開いてその箇所をイッペーオに示した。そのときイッペーオに目を向けたバルドスは、彼が泰然自若と構えているのを見て奇異の念を抱いた。いくら冷静なイッペーオとはいえ、旧友についての思いがけない情報に無関心でいられるとは思えない。バルドスの顔に浮かんだ不審の念を察したのか、イッペーオは静かに鞄を探ると、自分もまた一冊の本を取り出した。緑地に銀文字の表題。『都市と景観』。それは、バルドスの手にある本と全く同じものだった! 二人の友は目を見交わした。
「もう準備はできているんです」とイッペーオが言った。「早くロシアへ行きましょう」

2012年8月13日月曜日

バルドス探偵事務所再開

 バルドスは、友人のケイシーが主筆を務める「本郷新聞」に短い求人広告を載せた。「バルドス探偵事務所再開。ショーンを探す。相棒求む」。ほとんど確信に近い期待を抱きながら、バルドスは終日事務所で待っていた。
 翌日、事務所の扉を開けて一人の青年が入ってきた。バルドスの期待は裏切られなかった。表通りの光を浴びて影のように立っていたのは、あのイッペーオ・トゥリードーマだった。
 

2012年8月10日金曜日

セラピオン兄弟、再び


今日久しぶりにケイシーに会った。かつて毎日のように並んで歩いた本郷通りを、記憶を確認するようにゆっくり下っていった。ある建物の前で、私たちの足は自然に止まった。

 昔ここに市政館があり、その奥まったところの一角に私たちの編集室があった。市政館を統べていたのはコジ・カーター。私とケイシーも市政の一翼を担っていた。私たちは激しい公務の合間をぬって編集室に集い、雑誌や文集を作っていた。

 今ここにあるのは無人の館だ。往時の瀟洒な姿をわずかに留めているが、赤レンガは色を失い、壁にはツタが絡まり、汚れた窓ガラスは光を透さない。新たに建てられた市政館はここから数百メートル離れたところにある。そこを治めているのは、もはやコジ・カーターではない。私たちは政争に敗れ、それぞれの職を辞したのだ。

 青春の跡地に無言で立ち尽くしていた私たちは、旧市政館の塀に書かれた真新しい落書きにほとんど同時に気付いた。「花とりどり人ちりぢりの眺め窓の外の入日雲」。私たちは顔を見合わせた。その特徴的な筆跡を見誤りようもなかった。コジ・カーターのものだった。そこに込められたノスタルジーを、私たちは瞬時に感じ取った。「セラピオン兄弟」とケイシーがつぶやいた。

 セラピオン兄弟。編集室に集まる仲間を私たちはそう名付けていた。近づきつつある政治の嵐を予感しながら、それに背を向けるように、私たちはここに集い、語り合い、小さな文集を作っていた。現実から逃避した夢想家の集まりと言われても、あえて否定はしない。それでも、あの空間が無意味だったとは誰にも言わせない。語り合うこと。詩を朗読すること。一人泣いている黒いドレスの女が不意に仲間に加わりたいと言ってきたら、当たり前のように受け入れること。あの「親密な連帯」には確かな息吹があったのだ。

 大切なものをあまりにも安く時間に売り渡してしまったのかもしれない。そう思うと胸が疼いた。そのとき不意にケイシーが言った。「また集まろうか」。穏やかな声で何気なく発せられた言葉は、その何気なさゆえに気高く響いた。そうだ、もう一度集まればいい。いともたやすく流れすぎていく時間にただ身を委ねているだけでいいのか? たとえ現実に離散していても、私たちには言葉がある。この想像の場所に、私たちはいつでも立ち帰ることができるはずだ。


友よ、再び番がめぐってきた。さあ、何か語ってくれ。