2010年12月22日水曜日

コジ・カーターよりバルドスへ

バルドス、きみの手紙を読んだよ。今きみには、次のことしか言えない。
ボッカッチョが『デカメロン』の中で言っているように、
「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ」
という一句だ。
きみの喜びは昨日の喜びでも明日の喜びでもない。きみの不安も同じだ。それは今この瞬間のものなんだ。
恋愛は政治とは違う。正しい行先を目指すこと、操縦を誤らないようにすることはもちろん大切だけれど、何より大事なのは飛行そのものなのではないのか。
バルドス、きみはもう飛び立ったんだ。ただ飛び続ければいい。

それからもうひとつ言いたいのは、われわれセラピオン兄弟は、遠くから無事を祈ることしかできないけれど、きみをいつも応援しているということだよ、バルドス。

コジ・カーター

2010年12月15日水曜日

日本語の癖と美しさ

ご無沙汰しています。編集(片)です。まぁ、バルドス氏の小説に登場したりと、いろいろと忙しいようです。

次号は創作号、となれば編集部の一同も小説を書かなければいけない、ということで僕も最近は日本語について考えています。頭の中が翻訳でいっぱいなときには、いかに癖のない文体を選び出すか、読みやすい文章にするか、そうしたことを意識して、「そぎ落とす」ことばかり考えていたのですが、最近Kindleで青空文庫からてきとうに古典を拾っては読んでいると、その多様な文体にまた圧倒され魅了されます。四迷の「浮雲」の自由闊達な文体、鴎外の文語調の格調高さ、漱石の漢文交じりの、分らないままに伝わる風格と、「道草」の現代でも通ずるような読みやすさ。

ほんとうは翻訳こそ、そうした文体の癖さえ描き分けるほどに日本語を巧みに操れてこそやるべきなのだろう、と思いながら、その域に達するにはまだ道半ばのまた半ば。少しでも栄養を補給しないと、などと思います。

……そういえば、ロシア語・英語が闊達で昨年度まで非常にお世話になった方も、「きれいな日本語を読みたい」と言っていたなぁ。そのときの僕は、外国語ができないということで頭がいっぱいで、自分の日本語の不足なんて思いも至らなかった。

2010年12月13日月曜日

夜明け (ミーチャのアルバムより)

 修士の学位論文を提出した日、長い蟄居生活が明けたことを記念して、ミーチャは同じ提出組の仲間たちと祝杯をあげに行った。午後のまだ遅くない時間だった。日の光に満ちた明るい店内で、空き腹に酒を流し込んだ。そのまま杯を重ねているうちに、夜になった。帰る気も眠る気もなかったから、今度はダンスホールに繰り出した。

 そうして夜っぴて歌って踊りつづけた。そのうち酔いはさめ、意識が冴えてきた。濁った空気は重く、手足も重かった。やがてウェイターが気のない声で時を告げ、一同は言葉少なにホールを後にした。

 一年で夜がいちばん長い時季だったから、あたりはまだ暗かった。だが、夜の密度は確実に薄らいでいた。じきに日が昇り、残された夜を迅速に蝕んでいくだろう。そして再びもう一つの日常が始まるのだ。ミーチャの胸の内を察したかのように、サーシャが言った。「論文を書いていた間はやりたいことがいっぱいあったはずなんだけど、何だかみんな忘れてしまったみたいだ」

 改札で仲間たちと別れた。プラットホームにはすでに始発列車が待っていた。すべての扉を開け放したがらんどうの車両が、延々と長くのびていた。ミーチャは寒々とした車内の隅の席に腰をおろした。マフラーをきつめにまき直し、コートの襟をかき合せた。白熱灯の冷たい光が疲れた神経をかえって刺激するかのようで、昨夜のまだ新しい記憶が脈絡もなく頭の中で明滅した。列車が動き始めた。やがてミーチャは、ただ肉体が要求するだけの眠りに落ちていった。

 目が覚めたとき、すでに夜は明けていた。向かいに座っている、明らかに酔いどれの風体をした中年男が、無精ひげをさすりながら大きなあくびをした。ミーチャもつられてあくびをした。まだいくらか酔いの残っているらしい男は、おどけた顔でミーチャにウィンクをしてみせた。

2010年12月10日金曜日

本郷市史 2010-2011 (2)

序言(続き)

 コジは来年が波乱の年になるのではないかと危ぶんでいた。この年の夏、セラピオン兄弟(コジの仲間たちの通称)は一人の女を仲間に迎え入れた。あらゆる謎を免れているかと思えるほどに開放的で、しかしその過去のすべてが謎に包まれている女、ソーニャ。彼女を仲間に入れたとき、友としては正しいことをしたが、政治家としては道を誤ったのだ、とコジは思った。

 コジは政治家としての気質がすっかり身についてしまっていたから、ソーニャを迎え入れた時点で、バルドスに依頼してソーニャの来歴を秘密裏に調査させた。その結果、ソーニャの過去の一部が明らかになった。彼女は、本郷から市一つはさんで50キロほど離れたところに位置する町、マギラにある劇場の花形の踊り子だった。劇場の経営者であるクライトンは、郡全体に影響力を持つとされる黒社会のドンで、マギラの実質的な支配者だった。クライトンのソーニャに寄せる関心は、単なる興行主としてのそれを越えたものらしかった。

 そのソーニャがなぜかマギラを逃げ出し、本郷に流れ着いたのである。いずれクライトンはソーニャがこの町にいることに気づくだろう、あるいはすでに気づいているのかもしれない。クライトンがそれを黙って見過ごすとは思えなかった。
 また市内にも、ジャンゴの一件が引き金となってソーニャに関して良からぬ噂をする者がいた。それは主に反コジを標榜する連中だった。来年の市長選を前に、コジは反対派に一つの弱みを与えてしまったのだ。相手の策謀に、一挙一動に目を光らせなければならなかった。

本郷市史 2010-2011 (1)

序言

 本郷市は決して大きな町ではないが、郡の最高学府を有し、文化の中心地として栄えている。町を東西に二分する本郷通りに、ほとんどすべての機関が集まっている。通りの中心には大学がある。広い敷地のなかに瀟洒なレンガ造りの建物が並び、それらの建物を統べるかのように巨大な塔が中央の講堂広場にそびえ立っている。文献学者として世界的に有名なパーヴェル・オーセニイが現在学長を務めている。大学の向かいには市政館がある。現在の市長は三年前の市長選で初めて当選したコジ・カーターである。異例の若さで市長に就任したが、すでに市政の重鎮としての貫禄を示している。市政館の東、百メートルほど先に保安官事務所がある。本郷市は郡警察の管轄化に置かれているが、町の実質的な警察任務は保安官が担っている。保安官を務めるのはバルドス・トモンスキー、保安官補はショーン・ベーリクとイッペーオ・トゥリーダマーの二人である。この三人はかつて共同で探偵事務所を経営しており、そのときの実績を買われて現在の職に任命された。市政館の隣には本郷新聞社の事務所がある。現在主筆を務めるのはケイシー・ツボノヴィッチ。彼は小説家・翻訳家としての顔も持っている。

市の政治と文化を担う彼らは、みな本郷大学の出身者で、同じ研究室で学んだ仲間たちである。本郷市のような小さい町を治めるのに、彼らの親密さは都合が良かった。市政は行き届き、治安も良く、人びとには活気があった。来年に市長選を控えていたが、コジに寄せる市民の信頼は厚く、再選は確実視されていた。

こうして2010年もつつがなく暮れていくかに思われた。だが、コジの胸には一つの暗い予感があった。