2010年8月31日火曜日

【試験公開】 「桃園川暗渠訪問記」画像集

折角「本郷通り、」編集部ブログが開設されたのだから、本誌での不備を補う試みも当ブログ上で積極的に行われてしかるべきであろう。
そこで、暫定編集長代行・河岸が第4・5号に掲載した「桃園川暗渠訪問記」の補足を試みる。
本誌をお読みの皆様はご承知の通り、特に5号において写真が不鮮明にしか印刷できずご迷惑をお掛けした。
今回google docsのプレゼンテーションを用いて鮮明なカラー画像集を試作したので、試験的に公開する。
より適した公開形式等もあろうかと思われるので、何か御意見等ある方は寄せていただきたい。


URLは短縮してある。
http://qurl.com/zjwtt

2010年8月29日日曜日

雑記

ある種の消極性に導かれて読書をしている。翻訳小説ばかり。
ゲーテの「タッソー」を読み、アイヒェンドルフの「予感と現在」や「のらくら者の日記」を読み、今更ながら「ドン・キホーテ」を後篇まで読み終える。そして図書館で、借りるときは楽しい、とばかりにまた本を借りてくる。ちなみに「ドン・キホーテ」は読んでも楽しかった。

勉強会をやるというので久しぶりに英語を読んだけれど、英語って難しい。こと文学の解釈に限ったら、英語は特別難しいんじゃないだろうか。いずれ、コンピュータが言語をより分析していったとき、他のヨーロッパ言語に比べて特定の意味に限定するのが難しいことが明らかになっても不思議はないと思う。

バルドス氏がバルザックについて書いている。そのバルザックの新しい選集が、芸術・狂気をテーマにしているというので借りてきた。なかなか色のどぎつい感じの表紙。しかし水声社か、こういう出版社には頑張ってほしいと思う。一方で、値段が少し高い気もしないでもなく、文学って売れないんだな、と悲しくもなる。

ところで、枠物語はどうなったのだろう。一読者として気になるのですが、バルドスさん。

2010年8月28日土曜日

バルザック記念日 (ミーチャのアルバムより)

 ミーチャはとうとうバルザック全集を手に入れた。古本街をぶらついているときに、安く売りに出されているのを見つけて即座に購入を決意したのだ。その二日後に、大きな段ボール箱にぎゅうぎゅうに押し込まれたバルザック全集が届いた。この一箱の中に巨大な世界が隠されているのだ、とミーチャは思った。

 ミーチャがはじめてバルザックを読んだのは、ちょうど一年前の夏だった。それは、誰しも身に覚えがあると思うが、何となく人生に裏切られたような気がして胸の疼く日だった。ふとミーチャはもう一度『ゴリオ爺さん』に挑戦してみる気になった。今まで幾度か手にしては、その度に冒頭のくだくだしい描写にあっさり匙を投げていた本だった。だがその日は、そのくだくだしさにも耐えられるような気がしたのだ。

 三十分後、ミーチャは今までの自分の非を悟ることになった。今まで目にしたことのない激しすぎる情念のドラマが、そこに描かれていた。夢中になって読み進めながら、ミーチャは自分の胸の中に地震が起こったかのではないかと思った。「地震! それは愛の秩序までひっくり返すものと見える」。青臭い、世間知らずの青年にとって、それはまさに地震のようなものだった。いわば、ゴリオ爺さんとヴォートランがラスティニャックに果たした役割を、バルザックがミーチャに対して果たしたのであり、そしてバルザックほど世界を教える教師としてふさわしい者はいなかった。安易に過ぎる日常にあって誇るべき経験を何も持たない青年に、バルザックは世界の栄光と悲惨を惜しげもなく描いて見せた。もちろんミーチャの周囲の世界は、バルザックのパリに比べればはるかに慎ましいものだが、それでも青年にとって世界は常に闘争の場である。バルザックの世界を知ることで、ミーチャは自分の世界を相対化するまなざしを獲得したのであり、それはほとんど強さといってもよかった。

 ミーチャは届いたばかりの全集から早速一冊を選び出し、読み始めた。「ド・カディニャン公妃の秘密」。バルザックの人物再登場の手法が最大限に生かされた中編である。懐かしい顔が多数登場する。かつての軽薄な社交界のダンディたちが今や大物政治家になり、若々しい高潔な情熱に燃えていたセナークルの面々もそれぞれの道を歩んでいる。リュシアンやクレティヤンは、もうこの世にいない。ヒロインは先のモーフリニューズ公爵夫人、現カディニャン公妃だ。「パリでは、善きにつけ悪きにつけどんなことでもできぬことはないが、こうした怪物的なパリが作り上げた最もすぐれた女の一人であったあでやかな公妃は、夢に描いた天使となった。もっともこうした形容は、不幸にして非常に俗悪になってしまったが」。いかにもバルザックらしい文章を目にして、ミーチャは興奮した。

2010年8月25日水曜日

片面印刷

今日は「本郷通り、」6号の修正と片面の印刷に終わってしまったので完成は来週かその先くらいでしょうか。
回を重ねるごとに、プリンタの設定とかは使いこなせるようになって、前はB5で一ページずつ印刷してリソグラフのガラス板でできるだけ平行に並べたりしていたけど、今では最初からB4表面だけ・裏面だけ、とかで出せるようになりました。これで左右がでこぼこになったりはしないはず。
一方で、自分でも気づいているのですが、手を抜くところは抜くようになってしまって、これについては印刷しながらこれでよかったんだろうか、などと葛藤もあり。前は余白に次号の特集の説明を入れてみたりとか、編集段階での遊びがあったんですが、今はつい、原稿を集めた、流し込んだ、一丁上がり的なルーチンワークで終えてしまいます。せっかく編集を自分たちでできるからこそ、そこに可能性を探すというか、遊び道具を見つけるような姿勢は忘れずにいたいな、とこれが次号に向けてのちょっとした反省。

しかし、今日は嘱託の方を除くと、先生1人と外部の人1人にしか会いませんでした。みんな充実しているんだなあ、このリア充め。まあ、B4の白紙に「本郷通り、」の文字列が刷られていくとき、文字はリアルの重量を獲得するわけで、そういう意味ではこれも電脳充に対するリア充には違いない。

ブリキの太鼓

自分ばかり書いて…という気もするのですが、まあいいだろうということで。
ようやく『ブリキの太鼓』を読み終えました。『ヴァインランド』『賜物』と、河出の全集から3作読破しましたが、その中でもボリューム感は断トツで、疲れたし、「もう読みたくない」という気持ちに駆られること幾度、という感じではありながら、やはり読まれるべき作品だな、と。
戦争を扱った作品ですが、目を逸らしたいけれども、目を向けるべき、そしてどこか抗いがたい魅力がある、というまさに戦争に対して人が抱く態度をそのまま感じたとも言えるでしょう。そして本としては長すぎるけど、戦争を一人の作家が描くにはこれでも短すぎるかもしれない、などと思いながら読みました。
グラスの調理法がまた見事で、このグロテスクさと、少年のクールさ、しかし読んでいてこのクールさがかなり客観性を欠いていると気づくわけですが、そうしたものが不気味ながら魅力的です。モダニズム(意識の流れ)やドイツの伝統(教養主義)をちゃかすその態度もまた戦後的です。そうした時代の記録、文学史の記念碑としても価値があるでしょう。

まあ、体力があるうちに読んでおくべき本のひとつではないかと。それにしても、池内さんのこの訳ほか、ここ最近、優れた翻訳家が、それでも必死にならないと太刀打ちできないような力作の翻訳が続いていて、読者としては大変だと思いつつも嬉しい限りです。もっと若くて、先達に負けない訳者がどんどん出てくるといいですね。
(と、ここで一つ宣伝を。その若手翻訳家として大活躍中のFさんから今回も「本郷通り、」に原稿を頂きました。ファンの皆様はお楽しみに。)

2010年8月24日火曜日

もうすぐ完成

さて、なんだか枠物語のようなブログになっていて、完結まで別のことを挟むのは差し控えようなどと思っていたのですが、「本郷通り、」の次号をお待ちの全国150名(平均発行部数)の皆様にご連絡をと思いまして。
「本郷通り、」6号は、特集:宇宙が小特集:小宇宙になってしまった感がありますが、無事ゴール一歩手前まで漕ぎつけました。あとは発見した誤字などを直して、リソグラフで手作りするだけです。そう、いまどきリソグラフなんですよ、コスト削減のために。それでもガリ版の時代に比べればずいぶん楽になりました。

いずれは電子出版なども考えつつ、ホッチキスで留められた安っぽい紙の束にもどこか愛着を覚えつつ、われわれは複製技術時代の芸術を生きていますよ、ベンヤミン先生。これが芸術と言えれば、ですけどね。

2010年8月23日月曜日

祭りの夜 (ミーチャのアルバムより)

 祭りの夜だった。ミーチャは仲間と連れ立って、華やいだ町の目抜き通りをゆっくりと歩いていた。両側には電燈に明々と照らし出された屋台がすき間なく立ち並んでいた。怒号と呼び声が飛び交い、雑多な匂いが混じり合う中を、人々は少しの抵抗もままならないまま、同じ方向へと押し流されていた。ひしめく頭の上には、わずかな風にゆらめく提灯の列。それは白夜の明るさを持った、炎熱の夜だった。

 道は広場へと通じていた。広場の中央には巨大な櫓が高く組まれ、その頂でバンドネオンとバイオリンとギターとコントラバスからなるバンドが静かに準備をしていた。その周りを人々が幾重にも輪をなして取り囲み、最初の合図を今か今かと待っていた。タンゴがはじまろうとしていたのだ。やがてコントラバスがリズムを打ち始め、ギターとバイオリンが加わり、そこにバンドネオンの旋律が鮮やかに入り込んできた。人々は踊り出した。ミーチャたちもその輪の中に飛び込んでいった。

 同じリズムが変則的な拍子をはさみながら繰り返され、それに合わせてバンドネオンとバイオリンが競い合うように旋律をかき鳴らし、音楽は次第に狂熱の度を増していった。人々は思い思いに踊りまくり、列は乱れ、手足が交差し、かけ声とあえぎ声が音の合間合間に響いた。輪の一番外側ではビールが無料でふるまわれ、こらえきれなくなった売り手たちが続々と踊りの輪に流れ込んだ。危険なほどに高まる熱狂を少しでも冷まそうと、四台の放水車が雨を降らせたが、それもかえっていっそう人々を興奮に駆りたてるかのようだった。

 だが狂騒の時間にも終わりがやってきた。バンドが最後の曲を演奏し始めた。アストル・ピアソラの“Oblivion”。それは、それに合わせて踊るような曲ではなかった。静かに耳を傾けるべき曲だった。くすぶる喧噪を覆いつくすほどの静寂を、音楽は放っていた。宴は終わり、熱狂は遠のいていった。

 快い疲れの中で音楽を聴いていたミーチャは、隣に立っている親友のイリヤに言った。
「俺はしばらく国に帰ろうと思うんだ。三年ぶりにね」

2010年8月21日土曜日

花火 (セラピオン兄弟3)

(「昨日のことなんだけど…」とツボノヴィッチは語りはじめた)

 夜、駅前を歩いていたら、あれー久しぶり、と浅黒い肌の青年に話しかけられた。僕はそれが誰だかわからなかったけれど、ああ、と曖昧な返事をした。青年は嬉しそうににこにこ笑い、僕の肩を叩いた。いや、ちょうどよかったよ、今みんなで公園で花火しようと思ってたんだ、一緒に来いよ、もうみんな待ってる。青年は、缶ビールがたくさん入ったコンビニのビニール袋を掲げて、目の前の公園を指した。いや、ちょっと、と口ごもりながら断ろうと思っているうちに、青年にぐいぐい引っ張られて、僕はそのうち観念した。誰なのかさっぱり思い出せないけれど、どこかで一度だけ会ったことのある友人の友人とかかもしれない、集まっているみんなとやらに会えばわかるかもしれない。

 暗闇に沈みかけている小さな公園には、十人くらいの男女が集まっていた。浅黒い肌の青年と僕は、大げさな拍手と歓声で迎え入れられた。しかし誰の顔にも見覚えはない。というか、みんな同じ顔、たとえるなら狐のような顔をしているように思えた。でもそれは薄闇のせいかもしれないし、青年に手渡されたビールを飲みはじめた僕にはもう、どうでもよかった。

 打ち上げ花火、線香花火、ねずみ花火。僕たちは次々と花火に火を点け、そのたびに歓声をあげ、手をたたき、笑いあった。僕は最後の打ち上げ花火に火を点けた。花火はひゅるる、と心細げに空に上り、それから鮮烈な破裂音とともに空一面に花開いた。これはすごいな、と言いながら僕は上機嫌でみんなの顔を見た。花火の光に一瞬照らし出されたみんなの顔は、誰一人笑っていなくて、ただ怖い目でじっと僕を見つめていた。花火が消えると、辺りはいつの間にかすっかり深まった暗闇に包まれていて、そこには空になった缶ビールを間抜けに握りしめた自分以外に誰もいなくて、そもそも駅前に公園などなかったし、どこだかわからない荒涼とした土地に僕は茫然と立ち尽くしていて、風が静かに唸りをあげ、さっきのみんなの冷たい視線がいつまでも僕の過去を厳しく責め立てているような気がして、酔い心地が吐き気に変わり、僕は耐え切れずにぎゅっと目を瞑り、世界は本当の闇に沈み込み、それから背後で微かに秋の虫たちが鳴き始めた。

2010年8月19日木曜日

晩夏のセラピオン兄弟 3

 カワギシエフスキーは語り終えた。異国の奇怪な果物を食べた気分だった。奇妙な、だが決して不快ではない後味をゆっくりと消化するように、みなはしばらく黙り込んでいた。そのとき、カウンター席にいた黒いドレスの女が、グラスを片手にふらつく足取りで、セラピオン兄弟のテーブルに歩み寄ってきた。半ば入ったままのグラスを投げ出すようにテーブルに置くと、女は言った。
「ねえ、あたしも仲間に入れてよお。あたしね、さっきまで泣いてたんだけど、あんたの話聞いてたら泣きやんじゃったわよお。」

 カワギシエフスキーを見つめる眼差しは、どこか遠くを見ているかのように頼りなげだったが、涙にぬれた血走った眼の奥には、人を惹きつけずにはおかない光があった。語り終えたばかりの高揚とした気分の中で、カワギシエフスキーが言った。
「どうぞどうぞ、こちらにお座りなさい、アハハハ」

 女はソーニャと名乗った。こうしてセラピオン兄弟は思いがけない仲間を迎え入れた。簡単な自己紹介の後で、ソーニャが隣に座っているツボノヴィッチに言った。
「ケイシー、次はあんたが話してよ、あたしの優しい人」

 ツボノヴィッチは唐突なリクエストに温かい笑顔で答えた。ビールでのどを潤した後、彼は語り始めた。
 

饂飩男Ⅰ あるいは、野菜泥棒最後の秋 (セラピオン兄弟2)

「……知り合いの〈饂飩男〉の話なんだが、それじゃ、小説のスタイルでやらせてもらおうかな」
カワギシエフスキーは言って、朗読するような調子でやりはじめた。



  *  *  *

小学四年の秋以来、国語の授業やらで話題が漱石の名作に及ぶ度に喬は「おまえは猫か」とからかわれ続けてきた。彼があの高名な猫と「名前はまだない」という点で共通していたためである。勿論、喬というのは立派な名前だ。それでいてなぜ「名前はまだない」なのかというと、種を明かせば、それは喬の苗字がじつに珍しい馬田内なるものであったという真実に由来する。確かに名前はまだない。
はじめて「猫」と囃されてから十年近い時が、三年ほどに感じられる短い間に流れた。そのある年の秋のじめじめした深夜のことである。四五時間前に降った小雨の水玉を土埃まみれの葉の上に奇妙につやつやと戴いたホウレンソウ畑の用水路で、馬田内喬が山椒魚に似た生きものの一群に包囲されるに至った顛末を明らかにするには、まずは喬の一族の一風変った出自を語らねばなるまい。

(この間、4000字あまり省略。全容は来るべき第7号創作特集号で明かされよう)

九月十八日の午前二時、玉川上水を臨む木賃アパート二階の一室から、死にかけたノラ猫のように惨めで胡乱な影が星も見えない夜空の下にこそりと這い出してきた。十六日深夜の獲物(大根五本、葱四本、キャベツ二玉)はすべて生のままか、あるいは茹でられ醤油だけで調味されて喬の胃に収まり、大半が既に消化管をめぐる旅を終えどこか地中の下水管のなかにまどろんでいた。新たな獲物を求め、喬は仲秋の夜の大気を農協の仕掛けた罠に向かって泳ぐように突っ切っていく。上水の鯉がぼちゃんと跳ねた。

  *  *  *



「まだ続くんだが、今日はここまで。」カワギシエフスキーはそう言って話を切りあげた。
十分もかけておいて、ほんの導入部に過ぎないのであった。

2010年8月18日水曜日

晩夏のセラピオン兄弟 2

 
 …片〇氏は静かに語り終えた。聞き手たちは、「臆病な僕の取った行動」の余韻に、しばらく浸っていた。バルドスが沈黙を破った。その眼には涙が浮かんでいた。
「ひぐらしが鳴きはじめたよ。編集室は閉めて、続きはチムニーでしよう」

 チムニーは『本郷通り、』編集部の行きつけの居酒屋である。短い煙突を懸命に上空に伸ばしている、レンガ造りの古い小さな建物だ。夕暮れ時の外観は陰気だが、中はランプが煌々と燃えていて明るかった。まだ早い時間だから客は入りは少なかったが、早くも酔いのまわった学生の一団の話し声が響き、奥のカウンター席では黒いドレスの女が一人泣いていた。

 テーブルを囲んだ五人は、新たなセラピオン兄弟の誕生を祝して乾杯した。そのとき、間が悪くもバルドスの携帯が鳴った。トミー・ヌードルスからだった。席を外したバルドスは、戻ってくると言った。
「すまん、仕事が入った。トミーからだ。この事件にはもうお手上げだよ。」その顔はすでに探偵のそれになっていた。
「俺も行こうか?」相棒のショーン・カワギシエフスキーが言った。
「いや、今回は地下にもぐるわけじゃないから大丈夫だ。それにおかげで俺もマンホールのはずし方は覚えたから。これからのみんなの話、あとで全部ブログにのせてくれ、頼むよ」そう言い残して、バルドスは夜の本郷通りへと出て行った。

 残る語り部は三人だった。カワギシエフスキーとケイシー・ツボノヴィッチとイッペイ。語り終えた片〇がカワギシエフスキーを指名したので、彼が次に話すことになった。彼の頭にはすでに語るべき物語が浮かんでいるらしく、表情には活気がみなぎっていた。今まさに語り始めようとした瞬間、カワギシエフスキーの携帯にメールが入った。バルドスからだった。
「みなの名前勝手に作った。気に入らないなら変更せよ」

 バルドスの事件解決を祈って再び乾杯した後、カワギシエフスキーは歌うように語り始めた。
 

僕が乗った電車 (セラピオン兄弟1)

 駅で電車を待っていたんだ、家に向かう電車をね。セミがうるさく鳴く季節で、夕焼けと、それを突き刺す黒いビルの陰をぼけっと見つめて、空気がよどんでいるせいで、時間が動いていないんじゃないか、と思える、まあよくある晩夏の情景だね。
 電車が一つ通り過ぎた。待っていた駅は快速も停まる駅だったけど、そういう駅でも通り過ぎる特別車両というのもあるものだよね。特に不思議には思わず、次を待った。
 でも次も通り過ぎた。え? と思い、それでも待った次の電車も通り過ぎる。周りを見ても、自分みたいに困惑する人々の姿はなくて、というか僕しかいないんだ。明かりの灯らない駅舎で、僕は消えそうな夕陽を頼りに時刻表を読んだ。そこには、一時間ごとに刻まれた横線が走るばかりで、一つとして数字が書き込まれていなかった。まるで夕焼けの赤い色には反応しない、特別な透明インクで書かれているみたいにね。
 僕はもう訳が分からなくなって、とりあえず駅を跳び出した。もっと冷静にそんな不思議な状況を観察すればよかったのかもしれないね。でも、怖かったんだ、一刻も早く日常に帰り着きたい、その思いで一杯だった。人間の本質っていうのはああいうパニックのときに一番出るね。僕はどこまでも臆病者だった。
 そんな臆病な僕がとった行動は、

(この続きは、「本郷通り、」の次号、創作特集に掲載される予定です。ただしいつ出ることやら)

2010年8月16日月曜日

晩夏のセラピオン兄弟 (編集会議の後で)

 編集会議が終わった後も、我々はそのまま編集室に居残って、とりとめもない雑談を交わしていた。お互い気心の知れた仲だし、事務的な仕事の打ち合わせを終えて、みなすっかりくつろいだ気分になっていた。

 私(バルドス)は、いつものように思いつきでしゃべっていたが、ふっとその時思いついたままに次のような提案をした。

 「僕らはみんな何らかの形で文芸に携わって生きていこうとしている連中だ。普通の人よりもよく本を読んでいるし、並はずれた才能はないけど、並み以上の想像力と感受性は持っているつもりでいる。そこでだ、よくある趣向だけど、一人ずつ順番に短い物語を語っていくというのはどうだい。何の統一感がないのもつまらないから、何かテーマを決めて。…今は八月、残暑は厳しいが暦の上ではもう秋なんだね。テーマは『晩夏』でいいや。季節感を大切にしよう。それをテーマにロマンスでも怪談話でも何でもいいから、自分の知っている話、あるいは自分の創作した話を順番に語っていくんだ。どうだい?」

 一同は、顔色をうかがうように互いに見合わせていたが、みな内心乗り気になっていることは隠せなかった。「それで誰から話すんだい?」という声が上がった。バルドスが即座に答えた。

 「片〇くんからぜひ頼むよ。ひとつ、面白くて味のある話を聞かせてくれ。」

 幾度か言葉のやり取りがあった後、片〇氏はしばらく考えている様子だったが、やがておもむろに語り始めた。

2010年8月15日日曜日

Gone, Baby, Gone

 ある日バルドス探偵事務所を一人の中年の女性が訪ねてくる。彼女は町を騒然とさせている幼女誘拐事件の被害者の伯母だった。姪を見つけ出してほしい、と彼女はバルドスに頼む。警察は信頼できないから、独自に探偵を雇うことにしたのだという。力に余る事件であることは明らかだったが、必死の態度に心を打たれたバルドスは依頼を聞き入れる。

 バルドスは、アンダーグラウンドに詳しい相棒のカワギシエフスキーとともに被害者の家庭の周辺を洗い出していく。はじめは反目し合っていた担当刑事のレミーとの間にも、いつしか友情が芽生えていく。

 捜査の過程で浮かび上がってきたのは、被害者の家庭の乱脈な生活ぶりだった。母親はコカイン中毒で、麻薬の運び屋をしていたこともあった。これは組織の内紛が引き起こした事件なのだろうか。

 だが事件は思いがけない展開を見せる。バルドスは暗い予感に導かれるようにして恐るべき真実にたどりつく。すべてを知ったバルドスは、あまりにも重い選択を突きつけられることになる…。

 『ゴーン・ベイビー・ゴーン』。デニス・ルヘイン『愛しきものはすべて去りゆく』を、これが初監督作となる俳優のベン・アフレックが映画化したものである。脚本も書いたアフレックは、手堅く、隙のない演出で質の高い映画を生みだした。主人公を演じるケイシー・アフレック、レミー役のエド・ハリス、被害者の母親役のエイミー・ライアン、みな素晴らしい演技を見せる。また、物語の舞台であり、映画のロケ地ともなったボストンの町の住民が、多数出演しているが、彼らの自然な存在感が映画の雰囲気を盛り上げている。なかなか見ごたえある映画だった。

 

2010年8月9日月曜日

隘路のアイロニー

はたしてこれを書いているのは自分なのだろうか、それとも「自分」はバルドスが文字列によって規定する世界の記号にすぎないのだろうか。そんなことを考えながら、新しく買った古い辞書(1960年代以来改版されていない!)のまっさらな紙の側面にアルファベットを振っていく。この辞書に記載された記号は、50年来止まったままだ。
「本郷通り、」の作業場は来週まで開かない。となれば、来週すべきことを今やればいいのだけれど、人はそんな器用なものだろうか? もしそんな器用なものなら、人は締切りに追われたりしないのではないだろうか。

そして人生に追われることも。

夜の海 (ミーチャのアルバムより)

 傷心のミーチャは、仲間と連れ立って海辺の静養地へと旅に出た。海岸沿いにひた走る列車を乗り継いで町に着いたときには、陽はすでに沈みかけていた。本通りをはずれたところにある安い宿屋に慌しく旅装を解くと、さっそく暮れなずむ町へと繰り出した。

 かつて栄えたリゾート地も今はひなびた温泉街だが、それでも旅館や飲食店の立ち並ぶ本通りは、かつての繁栄の名残を留めていた。通りをしばらく行くと、歓楽街はあっけなく途切れるが、道はその先も長く続いており、さらに進むとやがてその向こうに海が見えた。すでに太陽は沈み、夜の闇の中で海は巨大な黒い塊のようだった。だが、風は確かに海の匂いと波の音を運んできた。

 ミーチャの一行は、人気のない浜辺に下り立った。海は月の光に照らされて鈍く光っていた。一人が裸足になってズボンの裾をめくり上げると、歓声を上げて海へと駆け出した。残りの者も遅れじとそれに続いた。一人残ったミーチャは、じっと海を見ていた。夜の海。それは物憂い眼差しで眺めるものではなかった。呼び招く波のリズムに誘われるように、やがてミーチャも海へと入っていった。足の裏を柔らかく押し返してくる砂土、冷たく優しく肌を撫でる水。暗い海の中を歩きながら、ミーチャははじめて声に出して言った。「俺ははげしく生きたい」と。

 その瞬間、軽快な破裂音を立てて遠く花火が上がった。青い光がさっと空と海を照らした。「青玉のしだれ花火のちりかかり消ゆる路上を君よいそがむ」。昔覚えた歌をふっと哀しく思い出しながら、それを振り払うように、ミーチャは入水者を思わせる確固たる足取りで更に深く進んでいった。

2010年8月8日日曜日

バラ色の街角に消えた女 1

 プロローグ

 事務所の扉を静かに開けて遠慮がちに入ってきた男は、間違いなくトミー・ヌードルスだった。少し痩せて、6年の年月が経ったことを思わせるくらいには老けていたが、昔のままの底抜けに人の好さそうな顔をしていた。かけている丸縁眼鏡も昔と全く同じものに見えた。私を見ると、急に遠慮を捨てて興奮気味にずかずかと歩み寄り、こちらの差し出した手を強く握りしめた。

 トミーは私の高校時代の友人だった。あの頃のことについて言うべきことは特にない。あれから6年の月日が流れた。それは若者にとって決して短くはない年月だ。トミーは今は小児科医の卵で、私はこうして編集業務に追われ、そのかたわら探偵稼業を行っている。

 トミーは、私が探偵事務所を開いたことを人づてに聞きつけ、私に相談したいことがあると連絡を取ってきたのだった。どうしても直接会って相談したい、一人で考えるには重すぎるんだ、と言うその声は、電話越しに聞いている分には、そんな切迫した問題を抱えている人のものとは思えなかった。いつも興奮していて、理由もないのに楽しそうで、突然甲高い声で笑い出す、昔の彼の姿がそのまま脳裏によみがえってきた。だからこそ、逆に気がかりでもあった。あのトミーが何か事件に巻き込まれたとしたら、きっと深みにはまり込まずにはいられないだろう、という気がした。そして事の重大さには気付かないままに、いつの間にか事件の中心人物になってしまっているのではないか。

 一通りの挨拶がすんだ後、私の前に腰をおろしたトミーは、不意に甲高い声で「俺の恋愛話を聞いてもらいたいんだ」とにこやかに宣言した。その時点で嫌な予感がした。早口でまくしたてる彼の話を聞きながら、私はその予感が的中したことを悟った。


 

2010年8月3日火曜日

そろそろ世代交代

さて、7月に出たはずの「本郷通り、」ですが、出てません。
私の不徳の致すところでありまして、もう今号で責任をとって編集から降りようかな。
とりあえず、一番「これだけはないと出せない」という原稿が届きましたので、
そろそろラストスパート、お盆明けには出そう、と思っています。
といってもこればっかりは、僕が頑張ってたくさん原稿を書くというわけにもいかないので。

編集者にもっとも必要なのは、原稿を督促するスキルではないかな。自分にはこれがまったく足りません。