2010年7月30日金曜日

温故知新というか

『フランツ・シュテルンバルトの遍歴』を少しずつ訳していて、ようやく1/4程度? 第一部第一巻の最後に辿りつく。5万2千字くらい。ミスだらけだと思うので、あとで通して原文と照らさないと。
ふだんはいろいろな辞書を使っているけれど、やっぱり『独和大辞典』は例文が多くていい辞書です。それでもたまに他の辞書にしか載っていないこともある。読み直しの前に、高いけれども相良大独和を買おうかな、と(1万5千円くらいする)迷っているところ。
そういえば、木村・相良辞書で有名な木村謹治さんの息子さんが木村彰一さんなんですね。外国文学の研究者は2世が少なからずいますが、これまたすごい組み合わせだな、と。

2010年7月28日水曜日

マロニエ通り、夏 (ミーチャのアルバムより)

 「マロニエ通りを行く人は、みな華やかに見える。僕らもきっと例外ではない。季節は若く、僕らも若かった。」
 
 という昔読んだ感傷的なフランスの小説の冒頭を思い出しながら、ミーチャは同じ名前の通りを亜麻色の髪の女の子と並んで歩いていた。だが心ない、とはいえ何の罪もない彼女の一言のせいで、そんな甘やかな気分も消えてしまった。

 今ミーチャはレールモントフの詩を繰り返し口ずさんでいる。

 「空しく、味気なく、悲運のときに手を伸べる人もなく。希望よ! 甲斐もなく望み続けることに何の意味があろう。月日は流れすぎて行くのだ。すべての美しい日々は。」

2010年7月24日土曜日

原稿

原稿が集まりません。こうなったら上下分冊で出してしまおうかな。
意外と不評じゃなかったらそれはそれで困るだろうなあ。
「あ、今回原稿落としそうなので下巻の方でお願いします」
とかみんなが言い出したら、上巻が出なくなり、上巻が出なければ下巻の締切りはこない。


それはそれで少しだけ平和になる気もしないでもない。


……と、とにかく、7月中に出すという目標は最後まで譲らないですよ。

2010年7月21日水曜日

バルドス探偵事務所

 ここにはまだ記せない理由から、探偵事務所を開くことになった。事務所は「本郷通り、」編集室を兼用することにする。編集委員のみんなには、迷惑をかけることをお詫びしたい。

 おばさん、もう少し待っていてください。ボヘミアンのおじさんは、僕が必ず見つけ出します。おじさんは、ある事件に巻き込まれているんです。ただ、被害者でも、もちろん加害者でもありませんので、その点はご安心ください。今はまだ、それ以上何も言えません。

 ボヘミアンのおじさんとの思いがけない邂逅から、なぜか探偵事務所まで開くことになった。初仕事は「バラ色の街角に消えた女」という事件だ。いずれ詳しいご報告ができるだろう。

2010年7月19日月曜日

お願い

 バルドスさん、ボヘミアンの妹でございます。お話は兄より聞いております。兄と仲良くしていただいて、本当にどうもありがとうございます。まだあなたにお会いしたことはございませんけど、でも何だかもう私たちの親しい友人という気がしています。

 それであなたのご好意をあてにして、ひとつどうしてもお願いしたいことがあるのですけど、兄が一昨日私どもの家に遊びに来るはずでしたのに、まだ参りませんし、何の連絡もございません。どうしたのでしょう。心配でしかたありません。どうか、兄を探していただけませんか。池のほとりにいるのならいいのですけど、そのときは何があったのか事情を聞いてみてください。どうぞお願いいたします。

 乱文乱筆にて失礼いたします。ご連絡をお待ち申し上げております。
    
                                               ボヘミアンの妹より

2010年7月18日日曜日

梅雨明け (ミーチャのアルバムより)

 梅雨がやっと明けた日の朝、ミーチャは窓辺に立って、切に待ち望んだ太陽を拝んだ。「胸の中の梅雨も明けてくれればいい」と彼はひとりごちた。ミーチャのささやかな遍歴の日々が始まろうとしていた。

アウトプット

昨日は、他の人の学士・修士論文の中間発表というものを聞いてきました。自分より学年が下なので、専門用語の雨あられで何にも分からん、ということもなく、
(いや、何より彼らがちゃんと人に伝わるような内容を用意していたということでしょう)
さすがに朝から晩で疲れたものの、とても刺激になる一日でした。

まあでも、窮鼠猫を噛むというか、書かなければならない、となったらみんなあれだけいろいろ持ってくるんだから、大したものです。むしろ能ある鷹は爪を隠すと言ったほうがいいのかな?
「本郷通り、」は読み手と同じくらい書き手のためにあると、少なくとも現時点では思っていて、何かを発表する場があることの大事さだとか、書き手の立場になってみることで読みを深める重要性だとか、そういうことを私は意識しています。

ならもっとちゃんと毎号出せって話ですよね。すいません。いっそ締切りを厳密にして「時間に追われてひどい原稿を出す」悔しさなども経験できるようにしようかな……いや、それは自分の首をしめるだけか。

2010年7月17日土曜日

暫定編集長代行の厄年と引越し

第6号に載せる原稿がさっぱりはかどらない。肝心な学業もややスランプ気味であるし、あれもこれも停滞しつつある。本当に困ったものだ!
そういえば、今年は数え25の男の厄年なのだった。卒論を無事に出し院試をどうやら乗りきったまでは良かったが、あとは空回りしてばかりの今日この頃だ。例年なら通ったはずの入学金免除申請も通らず、食費にして一年分以上も取られてしまった(審査が厳しかったのは事業仕分けのせいとの説があるが、それが本当ならまさに年が悪かった!)。あと半年足らず、何とかやり過ごしたいものである。

さて、しようしようと思いつつさっぱり進捗しないものの一つに引越がある。財政改革を期して、定期代の要らない学校近辺の古いアパートに越して来たいのである。そうして住居費と通学時間の削減が実現できれば、多少賃労働で資本を得るゆとりもあろうというものなのだ(いま『清老頭と資本』という洒落が思い浮かんだ)。
しかし、夏は暑い。物件を回ったり引越屋を雇ったり諸々の手続きをしたりする気が起きぬ。わが気力たちはニートの如く体内だか脳内だかの一隅に引きこもったきり出てこない。本当に困ったものだ!
まあ、単位は足りそうなことであるし、10月以降の学期中のウィークデイを一二週ぶん引越に割いても別にさほどの痛手はないのだが……。
しかし、秋冬に探した一見良さそうな部屋は、実は夏にはGKBRが猖獗を極め藪蚊が血という血を奪いに襲来するゲヘナ(ロシア語だとгеенна。いま「わにのгеенна」という洒落が思い浮かんだ)である可能性を持っているのだ。昭和なボロアパートとなればなおさらその危惧は見逃せないのである。さすれば、やっぱり夏のうちにどうにかすべきなのか。しかしやる気が起こらない。ああ何たる堂々巡り。本当に困ったものだ!

2010年7月15日木曜日

桜桃の味

 今年最初の、そしておそらく最後のさくらんぼ(親切な人が分けてくれたのだ)を食べながら、子供の頃を思い出していた。もうずっと昔、50年以上も前のことだ。
 親の仕事の関係で、学期の途中に東京の小学校に転校することになった。越してきた当初は、慣れない土地で友達もなかなかできず、学校がひけた後、四つ下の妹を連れて、近くの公園で静かに遊ぶ日々が続いた。
 ある日、今日のような梅雨の晴れ間に、いつものように公園で遊んでいた私たちは、地面の一部が紫色にまだら模様をなして染まっていることに気づいた。桜の木の下だった。見上げてみて、葉に隠れるようにしてさくらんぼが実っているのを発見したときの驚き。わたしたちは途端に元気づいた。食べたい、と妹がいう。桜の木は、決して小さくはなかったが、枝を幾重にも大きく広げているので、幼い私にも少し頑張れば登れそうだった。
 私は木によじ登り、手近の枝をつかんでいくつかのさくらんぼの実をもぎ取った。そして妹と分け合って食べた。小さくて、色づきも悪く、口に含むと苦い酸味ばしった味が広がったが、それでも舌先に残る確かな甘さがあった。
 
 あれから50年が経った。妹はもうすぐおばあちゃんになろうとしている。家に残っていた末の子供もこの春に独り立ちした。今は退職した夫と二人のんびり暮らしている。時代遅れのアナーキストで、今はボヘミアンの暮らしを送っている兄の私が、たまにふらりと訪ねると、少し困った顔を見せながら、それでもあたたかく迎えてくれる。

 妹よ、あのさくらんぼの味を覚えているか? またお前のところへ行きたくなったよ。
                          
                                 池のほとりのボヘミアンより

 

2010年7月13日火曜日

池のほとりのボヘミアン

 今日はバイトがなくなったので、暇でもないのに暇なつもりになって、心字池をぶらぶら散歩した。池のほとりでは、たびたび見かけるボヘミアン的なおじさんが、いつもの場所に陣取って、鋭い目つきで辺りを見回していた。今日は関わりたくない気分だったので、話しかけられる前に逃げた。以前、突然呼び止められて、ずいぶん話し込んだことがあった。悪い人では決してないが、変人であることは間違いない。日本の俳句を英訳してるんだ、と言っていた。小さな手帳を開いて見せてくれたのだが、実際、そこには英語で何やらこまごまと書かれていた。翻訳の良し悪しは自分にはよくわからないが、様になっているようには見えた。昔アメリカにいたらしく、英語はかなり流暢で、そのとき僕の隣にいた留学生がアメリカ出身だと知ると、早速よどみない英語を披露して見せた。
 ただ、このおじさん、多分に国粋主義的なところがあり、突然熱くなって日本のふんどし文化を礼賛し始めた。パンツはけしからん、と言う。「俺は、ここで週に一回ふんどし講習会を開いている。ふんどしの巻き方は、基本は同じだが、工夫次第でいろいろとヴァリエーションを増やせる。俺は10通りの巻き方を編み出した」と自慢げに語っていた。でも当の本人がふんどしをまとっているようには見えなかった。
 今日見た限りでは、おじさんはまだまだ元気そうだった。きっとまた会うこともあるだろう。そのときは、また立ち話してみようかと思う。
 

暫定編集長代行の日常

はじめまして。前号より暫定編集長代行を勤めております河岸と申します。
編集(片)氏が現在事実上編集長業務の殆んどを担っている状況でありますが、肝心の私はすっかり業務を離れうろうろさまよっております。本当に困ったものだ!

それはさておき、お目汚しに私の近況をば。
現在第6号に向けマンホールについて記事をまとめております。
探してみると、下水道・マンホールに関した専門的資料も意外と大学内に所蔵されているものでして。
今度工学部14号館図書室やら農学部図書館やらという謎の場所に虎児(=昭和4年の下水道標準設計図etc.)を得に赴かんと思っている次第。

とりあえずこんな具合。

2010年7月11日日曜日

プーシキン追悼の夕べの集い

 昨日は、プーシキン追悼の夕べの集いがあった。メイン・プログラムは『詩人の死』というプーシキンの伝記映画の上映だった。
 これは、必ずしも史実に忠実ではないのだが、詩人としての栄光から一転して、権力との駆け引きと家庭の瑣事に追われ、やがて否応なく破滅的な決闘へと至る詩人の悲劇を、わかりやすく美しく描いている。
 映画は、ミハイロフスコエ村の幽閉時代から始まる。詩人は隣村の地主の家に遊びに行き、そこで出会った17歳の少女ジジイのアルバムに即興で詩を書きつける。
 ラスト、詩人の死の報せを聞いたジジイが、少女時代のアルバムを開き、詩人の書いた詩を読み直す。その朗読とともに映画は終わるのだが、なかなか感動的なラストだった。

 人生がきみを裏切ることがあっても
 嘆いてはいけない。腹を立ててもいけない。
 気の滅入る日は、静かに耐えればいい。
 喜びの日は、きっと来る。

 心は未来に生きるもの。
 今日の日が暗くとも
 すべては儚く過ぎていく。
 過ぎ去るものは、いつかきっと親しいものとなるだろう。




 

ブックフェア

行ってきました、ブックフェア。

知り合いに会うのではないか、などと思ってもいたのですが、あれだけの人数と、またこちらも本をあれこれ見るのに夢中で、結局だれも見かけないままに一日過ごしました。

多少は電子書籍や端末なども覗きつつ、また児童書なども見てみつつ(デンマークの絵本なんか、もっとじっくり見てもよかったかな)、メインはやはり人文書や語学書。
筑摩、河出、平凡社、白水社、三修社、意外なところだと明日香出版やベレ出版、それに国書刊行会や法政大学出版の本などにも目を奪われて、しかし重い荷物を持ちかえる準備をしていなかったのもあり、あまり買えずにすごすごと帰ってきました。特に国書はいろいろ欲しかったです。
それでも一世代前の研究社羅和辞典がバーゲンで売っていて、これは! と思って買ってきました。新しい羅和の方が例文が多くて個人的には好みですが、やはり辞書好きとしては一冊は持っておきたい本でしたし、これだけでも行ったかいはあったかな、と思います。

でもなにより、あれだけの人が夢中になって本を漁っているのを見ると、まだまだ人は活字文化に(絵本などそれ以外もあるにせよ)飢えているのだな、と嬉しくなりました。一方では時代の進化やメディアの変化に目を向けないといけないとも思いますし、それはそれで積極的に向き合いたいものですが、他方、文字文化が培ってきた歴史の重みが、それらによって簡単に吹き飛ばされることはないはずで、まだまだ表現する者(とりわけ個人)とされる者をつなぐ一番の媒体は文字であり続けるのだな、などと再確認しました。

うまいこと、書き手と読み手が共存し、その間の媒体が健全に維持される状況であり続けて欲しいものです。僕らもできることはやらないと。

2010年7月9日金曜日

ノワール、マカロニ・ウェスタン

 最近の蒸し風呂のような暑さに、すっかり気勢をそがれてしまっている。映画もあまり見ていないが、くさくさした気分を打ち払うには、激しくドンパチするアクション映画か、冷たいノワール映画を見るのがいい。
 そういうわけで、『卑劣な街』という韓国ノワールをツタヤで借りて見てみた。苛烈なヴァイオレンスと緊迫したサスペンス、なかなか見応えがある。愚かなヤクザの純情が泣かせた。見て損はない。韓国の人ってずいぶんカラオケが好きなんだな、と思った。

 セルジオ・レオーネの『ウェスタン』。壮大なセットがすごい。西部の町が完全に再現され、建設途中の鉄道が走っている。レオーネらしいダイナミックな光景だ。ヘンリー・フォンダの悪役もさまになっている。見るからに憎たらしい。最後の決闘シーンでは、モリコーネの音楽が高らかになるが、こんなにカッコいい音楽を流してくれるなら、決闘も悪くないなという気になる。

2010年7月6日火曜日

第6号に向けて

さて、作りたてにしてもう放置されかかっているブログですが、それというのも、いまは「本郷通り、」6号の編集に取りかかっているから……と他にも各員それぞれの忙しい理由と、根っからの筆不精があると思うのですが、それはともかくとして、

「本郷通り、」は毎号に特集記事を設けていて、たとえば2号はロック、4号はグルメ、5号は女優など、同人誌だから許される気ままさで原稿が集まりそうなテーマを選択して、数十ページ程度それに割いています。

しかしいざ設定してから、意外と原稿が集まらない、あるいは執筆者を兼ねた編集者自身、とても自分たちでは原稿を書けない、と悲鳴を上げることになることもあります。
グルメ号がまさにそうでしたが、今号も同様に、テーマが決まってから各々が覚悟を決めるまでに、時間がかかったことかかったこと。おかげで当初は季刊を目指していた雑誌が、もうすぐ前号から1年を数えようとしています。
その前にどうにか出せるよう、誰もが忙しいなりに原稿を書き、集め、掻き集めているところです。したがってブログなど更新している場合ではありません。真綿で修羅場を迎えています。

そんな第6号の特集は「宇宙」です。いつも記事を書いてくださるあの方や、本誌には珍しい理系の方の特別記事など、皆様に楽しんでいただけそうな内容を盛り込んでいますので、もしどこかで見かける機会がありましたら(全部で100~200部程度しか刷りませんので、そうそう機会はないと思いますが)読んでいただけたら幸いです。

そういえば、次号のテーマが決まってません……。 何かお勧めのテーマなどありましたらコメントなどで提案ください。よろしくお願いします。

2010年7月3日土曜日

はじめまして

このブログは、東京のどこか、と言っても雑誌名が雑誌名だけにある程度どの辺りかは特定されると思うのですが、そこでちまちまと号を重ねる同人雑誌「本郷通り、」に関連したことを、編集担当などが書き連ねていこうという、そんなブログです。

まだ試行段階ですので、今日あると思ったら明日には消えているかもしれませんが、雑誌本体とうまく併用することで、紙媒体とネットの相乗効果など生み出せるよう編集一同頑張って……怠惰なりに……放置しないように、やってまいりますので、どうぞほどほどにご期待ください。