今日久しぶりにケイシーに会った。かつて毎日のように並んで歩いた本郷通りを、記憶を確認するようにゆっくり下っていった。ある建物の前で、私たちの足は自然に止まった。
昔ここに市政館があり、その奥まったところの一角に私たちの編集室があった。市政館を統べていたのはコジ・カーター。私とケイシーも市政の一翼を担っていた。私たちは激しい公務の合間をぬって編集室に集い、雑誌や文集を作っていた。
今ここにあるのは無人の館だ。往時の瀟洒な姿をわずかに留めているが、赤レンガは色を失い、壁にはツタが絡まり、汚れた窓ガラスは光を透さない。新たに建てられた市政館はここから数百メートル離れたところにある。そこを治めているのは、もはやコジ・カーターではない。私たちは政争に敗れ、それぞれの職を辞したのだ。
青春の跡地に無言で立ち尽くしていた私たちは、旧市政館の塀に書かれた真新しい落書きにほとんど同時に気付いた。「花とりどり人ちりぢりの眺め窓の外の入日雲」。私たちは顔を見合わせた。その特徴的な筆跡を見誤りようもなかった。コジ・カーターのものだった。そこに込められたノスタルジーを、私たちは瞬時に感じ取った。「セラピオン兄弟」とケイシーがつぶやいた。
セラピオン兄弟。編集室に集まる仲間を私たちはそう名付けていた。近づきつつある政治の嵐を予感しながら、それに背を向けるように、私たちはここに集い、語り合い、小さな文集を作っていた。現実から逃避した夢想家の集まりと言われても、あえて否定はしない。それでも、あの空間が無意味だったとは誰にも言わせない。語り合うこと。詩を朗読すること。一人泣いている黒いドレスの女が不意に仲間に加わりたいと言ってきたら、当たり前のように受け入れること。あの「親密な連帯」には確かな息吹があったのだ。
大切なものをあまりにも安く時間に売り渡してしまったのかもしれない。そう思うと胸が疼いた。そのとき不意にケイシーが言った。「また集まろうか」。穏やかな声で何気なく発せられた言葉は、その何気なさゆえに気高く響いた。そうだ、もう一度集まればいい。いともたやすく流れすぎていく時間にただ身を委ねているだけでいいのか? たとえ現実に離散していても、私たちには言葉がある。この想像の場所に、私たちはいつでも立ち帰ることができるはずだ。
友よ、再び番がめぐってきた。さあ、何か語ってくれ。
ひさびさに動き始めましたね。
返信削除相変わらず、歴史小説風の文体が健在だなー。文フリでも目指してなにかやってみようか。
返信削除おお、さっそく応答が。思い返すと二年前は悪ふざけが過ぎたんじゃないかと反省する点もあるけれど、こりずにまた面白いことをやれたらいいなと。
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