2010年9月15日水曜日

勉強会

こんばんは、編集(片)です。
またお前か、とお思いの方、そうです、また僕です。すみません。そのうち他の人も書いてくれると思うのですが、みんないろいろと忙しいので。

今日は勉強会をしました、ヴェルヌの「ザカリウス親方」の感想を言い合って。その場で、もっと人が来たらいいのに、そのためにはブログでお誘いの文でも書くべきではないか(書きたい! ではなく)、という話があったので書いている次第です。

来週は、トーマス・マンの短編を3つ扱います。岩波文庫の短編集から「幸福への意志」「餓えた人々」「悩みのひととき」。読んできて、感想を言って、感想を聞くだけです。そんなに敷居が高いものではないので、お暇な方は雑談でもするつもりで来てください。外部の人でも、こんなブログを読んでくださるような方なら歓迎です。ちなみに、本郷にある大学の、両側の大きな門の間くらいにある噴水の近くの建物の一番上の方でやっています。これで分らない方はメールにてお尋ねください。

以下、実は先に書いたけれども、こんなお堅い内容では来る人も来なくなるだろう、と思って順番を変えた、勉強会の意義についてのお話。

さて、「本郷通り、」の編集スタッフは、ときどき勉強会をします。雑誌の編集はいかにすべきか、といった実用的なものではなくて、単に短編小説を読んで議論をします。はたからは雑談に聞こえるかもしれません。

文学は高尚なもの、という考えには一理あるけれども、一方で、正しさを重視するあまり楽しさが、論理性を重視するあまり感受性が出番を失うようでは本末転倒ではないか、と思います。がちがちの授業では、どうしても間違ったことは言えないものですが、ふと思いつきで言ってみたことが的を射ていたり、他の人に新たな視点を与えることもあります。

別の言い方をすれば、古い小説は、本当に娯楽性の観点から、現今のエンタテイメントに負けているのでしょうか? 負けているからこそ、「学問」としての価値を主張しないといけないのでしょうか? いや、そんなことはない、と思います。それを確認するためにも、文学作品を楽しんでいる場が存在するのはいいことだと思うし、そう思って去年から始めました。人が増えないのは残念ですが、僕にとっては貴重な時間で、やっていてよかったと思います。

そもそも、昔は本は値段が高く、みなで囲んで誰かが朗読したりして楽しんだといいます。その後、本は大量に印刷され、個人が私室でひそかに読むという楽しみが生まれたわけですが、前者の楽しまれ方があったことは記憶されるべきだし、今も本は個人としてだけでなくみんなで楽しめるものであっていいのではないでしょうか。

……と、ここまで書いたところでくどくどしいことに気づいたので、打ち切って追記に回しました。最後まで読んでくださった方には、心からの感謝の気持ちとともに、勉強会に使うテクストをPDFにてお送りいたしますので、ぜひおっしゃってください。強くお待ちしてます。

0 件のコメント:

コメントを投稿