2010年8月29日日曜日

雑記

ある種の消極性に導かれて読書をしている。翻訳小説ばかり。
ゲーテの「タッソー」を読み、アイヒェンドルフの「予感と現在」や「のらくら者の日記」を読み、今更ながら「ドン・キホーテ」を後篇まで読み終える。そして図書館で、借りるときは楽しい、とばかりにまた本を借りてくる。ちなみに「ドン・キホーテ」は読んでも楽しかった。

勉強会をやるというので久しぶりに英語を読んだけれど、英語って難しい。こと文学の解釈に限ったら、英語は特別難しいんじゃないだろうか。いずれ、コンピュータが言語をより分析していったとき、他のヨーロッパ言語に比べて特定の意味に限定するのが難しいことが明らかになっても不思議はないと思う。

バルドス氏がバルザックについて書いている。そのバルザックの新しい選集が、芸術・狂気をテーマにしているというので借りてきた。なかなか色のどぎつい感じの表紙。しかし水声社か、こういう出版社には頑張ってほしいと思う。一方で、値段が少し高い気もしないでもなく、文学って売れないんだな、と悲しくもなる。

ところで、枠物語はどうなったのだろう。一読者として気になるのですが、バルドスさん。

1 件のコメント:

  1.  『本郷通りのセラピオン兄弟』は、本郷通りに集う文学志望の若者たちの夢と野望と挫折を描いたモデル小説である。しかし、当事者=登場人物の一人であり、かつ語り手である私は、セラピオン兄弟の行く末を案じて気が重いのだ。この先おそらくケイシーとソーニャの間にはロマンスが芽生えるだろう。そして、バルドスは内心それを快く思わない。ソーニャは多情多感な人で、バルドスに惹かれないわけでもない。セラピオン兄弟の友情に陰りが見え始める。それを案じた片〇は、苦渋の決断を取ることになる。ラスト、「本郷通りの決闘」で一体何が起こるのだろうか? 私は語り続けることにためらいを感じているが、しかし事は私の考えるようには進まない。
     『本郷通りのセラピオン兄弟』、間もなく続きが始まる。乞うご期待。

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