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2013年11月18日月曜日

明かりに魅せられて

コジ・カーターは時計を見た。六時を十五分ほど回っている。
秋が冬になり、夜は取り分を増す時節だが、それでも外は明らんでくる。
書きかけの原稿と参考資料から目を離して、息抜きを探す。

原稿。コジはいまでも「本郷通り、」の復刊を夢見ているが、
さし当たり、生きの良い仲間の雑誌に寄稿するのも悪くないと
キーボードを叩いていた。

雑誌の名は「篝火」。ふと彼は、「本郷通り ブログ」を検索すると
このブログにたどり着けたことを思い出した。
「篝火」に当時の仲間が関わっている以上、ブログがあってもおかしくない。
試しに、「篝火 ロシア詩」で検索してみる。

やはり。
「本郷通り、」創設者の一人であり、「篝火」の発起人でもある
バルドスが、紛れもない彼の文体でブログを書いていた。
雑誌のテーマからどこまでも逸脱していくのが彼の流儀だ。

そしてイッペーオはサンペイに名を変えていた。
知り合いから噂は聞くが、元気そうで何よりだ。

懐かしく思えて、この「本郷通り、」ブログを久々に開いた。
いくつかの記事とともに記憶も甦る。
預かりながら印刷できなかった原稿も、そのまま
メールアドレスに添付ファイルとして保管されている。


コジは息抜きを終えて、「篝火」の原稿に戻った。
しかし、夢はここに置いてある。いつか拾いに来るだろう。

2012年7月24日火曜日

塚谷教授ブックトークのおしらせ

お久しぶりです、編集(片)です。というか誰も見ていないか、ひょっとするとRSSリーダーなどに登録されて突然久しぶりにこの記事をご覧になる方も多いかもしれません。

「本郷通り、」は編集部変更のドタドタでげんざい残念ながら休刊しているようです。引き継ぎをうまくできなかった私にもその一因があると思いますが、それはともかく。

理学部の塚谷教授、かつてドリアンについてご高説いただいたあの塚谷教授から、ブックトークのお知らせをいただきまして。せめてこれだけでもご案内しなくては申し訳ないなと久しぶりにブログの更新をする次第です。

http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/koho/news/news/soto_12_07_18.html

上記のリンクのとおり、7/30に図書館でブックトークをされるそうです。その内容は文学研究者にも興味深い、漱石の「それから」についてのもの。実に学際的な感じがして、興味を惹かれる内容ですね。一般の方も参加できるそうなので、ぜひみなさまふるってご参加ください。

それにしても、われながら、「本郷通り、」懐かしいです。ああいう空間が後輩のみなさんにも保たれると良かったんですけどね。こういうのは押し付けることではないので。

2010年12月15日水曜日

日本語の癖と美しさ

ご無沙汰しています。編集(片)です。まぁ、バルドス氏の小説に登場したりと、いろいろと忙しいようです。

次号は創作号、となれば編集部の一同も小説を書かなければいけない、ということで僕も最近は日本語について考えています。頭の中が翻訳でいっぱいなときには、いかに癖のない文体を選び出すか、読みやすい文章にするか、そうしたことを意識して、「そぎ落とす」ことばかり考えていたのですが、最近Kindleで青空文庫からてきとうに古典を拾っては読んでいると、その多様な文体にまた圧倒され魅了されます。四迷の「浮雲」の自由闊達な文体、鴎外の文語調の格調高さ、漱石の漢文交じりの、分らないままに伝わる風格と、「道草」の現代でも通ずるような読みやすさ。

ほんとうは翻訳こそ、そうした文体の癖さえ描き分けるほどに日本語を巧みに操れてこそやるべきなのだろう、と思いながら、その域に達するにはまだ道半ばのまた半ば。少しでも栄養を補給しないと、などと思います。

……そういえば、ロシア語・英語が闊達で昨年度まで非常にお世話になった方も、「きれいな日本語を読みたい」と言っていたなぁ。そのときの僕は、外国語ができないということで頭がいっぱいで、自分の日本語の不足なんて思いも至らなかった。

2010年11月19日金曜日

いずれは機械翻訳がとって代わるのかな

のんびりとやっていた「フランツ・シュテルンバルト」の翻訳も、ようやく第一部が終わって、これで半分弱(今のところ12万3千字くらい、原稿用紙300枚とちょっと)。というわけで一区切り、というか第二部の最初がどうも難しくて少し気力が降りてこない。

そもそも、今回やってみて知ったこと。ティークはもちろん作家であるけれど、詩人でもあって、ゲーテやアイヒェンドルフほど天才ではないにせよ、詩もたくさん残しているのに(Wikipedia DeではDichter, Enではpoetが紹介文の最初の肩書きになっているほど)、参考にしうる翻訳が全然見つからない。まあ、頑張ってロマン派詩集みたいなものを漁りに漁ればいく編かは見つかるのかもしれないけど、今探しているのは、小説内に収められた、必ずしも出来のいいとは限らない作中詩なのでちょっと難しいだろうな。

そんなわけで、暗中模索。それでもコツコツとやっているのですが、いつかこれを踏まえてきっと誰かがもっといい訳を生み出してくれたら、などという言い訳をすでにもうしつつあったり。そうは言っても、たまには難読の場所を必死に読んで正しく解釈できている気もするので、その辺くらいは、次の訳者(百年後くらいかな?)にも役立つといいのだけれど。

2010年10月31日日曜日

神保町

すっかりご無沙汰をしていました。意外と書くことに困ってしまって、というかチェーホフ短編集の感想を書くつもりが、まだ読み終わっていないので宙ぶらりんなこともあって、ずるずると。

これではいかん、と神保町の古本市に行って来たのですが、昔ほど古本にときめかない自分に気づかされつつ、それでも午後いっぱいぶらっとしてきました。最近、読みたい本がたまりにたまっていて、古本屋で面白そうな本を見つけても、それを読む時間を手に入れた自分を想像できず、置き場所ばかり気にかかってなかなかレジに持っていけません。

というわけで、すずらん通りのキズ物本たたき売りなども目を通しながら、買うには至らず。かろうじて編集(河岸)氏が「厳松堂半額ですよ!」と興奮して言っていたのを思い出して、「教養小説の展望と諸相」という本を買ってきました。1400円だったし、有名な人も何人か書いているので、悪くない買い物だったかな、と。ちなみに彼が買っていた「ミハイール・バフチーンの世界」はまだ在庫があって、買おうか迷ったのですが、同じ本を買うのも芸がないと思ったのでやめました。

あとは「トールキン指輪物語事典」というのを衝動買いして、ネットで見たらけっこう安く出回っていたけれど、こういうのは一期一会だから、まあいいか、と。「芸術と策謀のパリ」という本がワゴンで400円で出ていたのを迷って買い損ねたのをいま少し後悔しつつ、でも残りの2冊がずいぶんと重かったのです。誰か明日以降行って、まだ見かけたら買っといてください。

前回買うのを見送った白水社の「仏和大辞典」が、またワゴンにあって、3000円で、迷ってまた買いませんでした。金額以上に、重い本を持って帰るという覚悟が毎回つきません。だれか重さ以上の情熱がある人は買ってみてください。
「事典 現代のドイツ」というのも2冊別々の場所で見かけて、データが古そうなので買わなかったけれど、役に立つものだったかも、といま思っているところ。

そんなところで。ちなみに、ワゴンセールについては水曜までやってると思います。

2010年10月15日金曜日

Kindleユーザーは紙の本もお好き

Kindleについてばかり書いているのもあれなので、たまには紙の本について書きます。ただKindleについてちょっとだけ書き足すと、まず日本でも発売されるらしいという情報がだんだんと飛び交いつつあるので、買うのは様子を見てもいいかもしれません。ハードは変わらないと思いますが、日本のアマゾンで本が買えるか、そして日本語入力ができるか、という点についてはなんとも言えませんので。前者は商売を考えれば大丈夫だろうし、後者についてもハードが同じという前提でたぶんOSの差し替えで何とかなるとは思いつつ。
もう1つ、Kindleを持っていると、朝(or昼)に授業に慌てて向かう時に、どの本を持っていくか迷って、気づいたら電車に乗り遅れて早速その本を読む羽目になるという、至福の時間を避けることができます。あと帰りの電車で今日は疲れてるな、と思ったら読みやすい本に切り替えたりもできるので、基本的に読みたい本と持っている本がずれるという不幸が回避できて、これは結構ありがたい。

…あ、もうずいぶんな長さに。 沼野充義訳「新訳チェーホフ短編集」を大絶賛しようと思っていたのですが、これはまた今度。

2010年10月9日土曜日

間違い探し

「紺屋の白袴」という言葉があります。あるいは「医者の不養生」。

つまり、編集というのは人さまの原稿を預かる身であって、それのチェックなどしていたら自分の原稿に誤字が混ざっても気づかない、という意味合いの諺ですね。最新号をお手持ちの方は43頁右の列の真ん中あたりを見ていただきますと、「木」という字がございます。

なになに? その前の段落の方が訳がこなれていなくて問題じゃないか? まあ、それはその通りでごもっともなのですが、もっと本質的な問題がありまして、この訳は前号来、全体を通してひらがなまたはカタカナのみで来たのです。それなのに、ついつい「木」が、なんの疑問もなく入り込んでしまいました。表音文字同様に一音しか持たないせいかもしれませんが、残念なことです。

もっとも、こんな些細な部分よりも、全体のできの方が大事なんですけどね。

「木を見て森を見ず」なんて言葉もありますので。

2010年10月3日日曜日

Kindleと読み上げ機能

さて、もうすぐ新学期ということで皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は通年の授業の準備をしたりなんだりで文章を打つ時間が長くなり、そうするとブログを書く気力も落ちてくるわけです。くわえてギターを弾きすぎて腰が痛くて散々で、PCに向かうのもつらいのですが、まあなんとかなるでしょう。

相変わらずKindleの欠かせない日々を送っているのですが、今日はテクスト読み上げ機能について。Kindleは背面にスピーカーがついていて、実はMP3も再生できます。僕はバッテリーが心配なので使っていませんが、好きな曲を再生しながら優雅に読書、なんてこともできるようです。さらに、テクストを読みあげてもくれます。男声・女声、それに早さも三段階から選べるのですが、個人的には初期設定の男・普通速が好きです。サンプルを録音する気力がないので省略しますが、ときどき抑揚がおかしいな、と思ったり、チャプターとその次の行を立て続けに読んだりと、改良の余地はあるものの、十分に役立ちます。発音も少し癖があるもののだいたい大丈夫。分らなかったときはテクストを目で追えばいいわけですし。

惜しむらくは、スピーカーが背面にあるせいで、後ろを向けた方が音がクリアになる(けれども、テクストは表に向けないと読めない)ことですが、コンパクトな中にスピーカーを納めただけでもよくやったと思いたいところです。

ちなみに英語以外だとひどいことになります。ドイツ語だとけっこう笑えます。
 
…けっこう、音声合成系の音楽の一つのツールとして使えるんじゃないかな? 誰かサンプリング素材として使ったら新しいのにな、などと考えも膨らみますが(とくに英語以外を読ませれば、意味をなさない発音の羅列が生み出せるわけで、そこに偶然性の芸術を生み出す余地があるような)、今日はこんなところで。

2010年9月25日土曜日

Kindleに独和辞典を入れる

Kindleのことばかり書いていていいのだろうか、と思いつつ、どれだけはまっているかをそこから察していただけたらと。

Kindleは3になって、日本語対応しました。ということは、辞書だって頑張れば入れられるわけで、実際すでに英辞郎が出ています。おそらくいずれもっと増えるだろうし、ドイツ語も「アクセス独和」あたりが入るとは思うのですが、いかんせんドイツ自体あんまりKindleで盛り上がっていない感じで、コンテンツが充実しない以上、いつまで待てばよいのやら、という感じです。

というわけで、PC用の「クラウン独和」を買ってきて、入れてみよう、と試みたわけです。ちなみに我が家にはすでに紙の同書が2冊ある上に、電子辞書にも入っていて、今更PCに入れてもしょうがないのですが、Kindleで使えるとなれば話は別です。というより、単に新しいもの好きの血が騒いだというべきかもしれません。

ネット上の情報を辿りに辿って、BTONICからEPWINGへ、と順調に来たものの、いろいろと困難がありました。英語と日本語だけならShift_Jisが、横文字だけならASCIIがある、しかし使いたいのはUnicodeなのだ、とか、またドイツ語の特殊フォントは「クラウン」の方で画像として扱われていて、置き換える必要がある、というわけで、そのまま使えるスクリプトが見当たりません。データをテクスト形式で持っていながら、最後の形式に変換できなかったので、辞書の形式をスクリプトを参照にしながら把握して、自分でマクロを書いて(さすがに辞書なので、大量処理ができないと話にならないのです)苦闘すること24時間弱、ようやく形式変換できました。
(なお、手探りで変換してはマクロを書き変え、という具合だったので、ここでアップロードできるような一括スクリプトのようなものはありません。万一検索などで辿りついた方はすみません。)

というわけで、スクリーンショットをいくつか。Kindleはショートカットで(alt+shift+G)スクリーンショットが撮れるのです。

こんな感じ。ただ、Kindle3は現時点で「~」の記号が出ないんですね。Kindle for PCだと出ですが。あと、右下の「more」の上が消えるのはどうやら仕様のようです。英辞郎を使っていても同じ現象が起こるのですが、業者さんのせいではなかったということですね。

辞書を選ぶとこんな感じ。但し、とても重い。英辞郎よりデータ量が少ないのにこうなのは、たぶん辞書を作る際のhtml分割数が少なかったのではないかな、と反省。一般的な独独くらいにしたつもりなのですが。
//訂正:そのあと使っていたら特に遅くはありませんでした。

まあ、活用形が拾えないので、実はあんまり役に立ちません。むしろ、英和以外もいけるぞKindle! という将来性のアピールとして、参考になればなどと思いつつ。

2010年9月22日水曜日

きんどる五段活用

相変わらずきんどってます。これはほんとに楽しい。出かけても、寝転がっても、お風呂に入っても(要ジップロック)、それにパソコンで文章の校正をするにも、Kindleで見てやった方が実際の本っぽくて作業がはかどったり。辞書を変えてみたり、プロジェクト・グーテンベルクでテクストを漁ったり。Kindle用のフォーマットのものがダウンロードできるので、楽ちんです。

ただ、英語以外はまだ手ごわいですね。いろいろネットをさ迷って、英語を読み久しぶりにコマンドプロンプトを起動し、初めてPythonの実行ファイルを使って、どうにかドイツ語の辞書を用意できたものの、活用形や複数形を元の形で表示してくれないので(英語はできる)、まだまだ実用的ではありません。その上、ドイツのグーテンベルクさんは、Kindleに優しくないので、結局英語版のグーテンベルクにある数少ないgermanyのテクストを放り込むくらいで、なかなか読みたいものもなく。

という具合で、4日たって読んだのが、ウォルポールの「オトランド城」と漱石の「倫敦塔」。考えれば、どちらも建物で、しかもイギリスづいている。どうせならイギリス人作家のイギリス建物話を読めばよかったかもしれない。

しばらくはこれで英語の長編でも読んで遊びたいな、と思いつつ、もうすぐ新学期ですね。

2010年9月18日土曜日

Kindle now!

Kindleが我が家にやってきました。写真はありません。実物を見たい人は水曜日に勉強会に来てください。

感想を長々と述べたいという気持ち以上に、いろいろ遊んでいたいので、簡潔に特徴だけ。

1.英語の作品、または日本語の著作権切れ作品をたくさん読みたい人には最適。
2.動きは全体的に重いので、3Gが使えるけどブラウジングはあまりする気にならない。非常用およびAmazon.comのものを買うとき用。
3.画面の反転は目が疲れそう。ただし、文字を読むだけならページの切り替え時だけ目を閉じたりしてれば大丈夫。
4.辞書便利。たとえ動きが重くて、なかなか対象の単語に辿りつかなくても、電子辞書引くよりはずっと早いし、たぶん目の焦点を変えたりしなくていいので疲れにくいと思う。OADとかODE(OEDではなく)が入っているので英文卒くらいの英語力があればがんがんに読める。英次郎は悪くないけど、データが多すぎるのか、辞書の反応がさらに遅くなるような。

というわけで、みんな買ったらいいと思うよ、英語でなくドイツ語が専門、とかでなければさ。

……なんて、ドイツ語が専門でもこれは楽しいので買ってよかったです。過度な期待をしなければ(ちょっとでも頑張らせようとすると、ふた昔前のPCをいじっているような重さを耐え忍ぶことになりますが)、文字を読む機械としてはとてもいいものです。

2010年9月15日水曜日

勉強会

こんばんは、編集(片)です。
またお前か、とお思いの方、そうです、また僕です。すみません。そのうち他の人も書いてくれると思うのですが、みんないろいろと忙しいので。

今日は勉強会をしました、ヴェルヌの「ザカリウス親方」の感想を言い合って。その場で、もっと人が来たらいいのに、そのためにはブログでお誘いの文でも書くべきではないか(書きたい! ではなく)、という話があったので書いている次第です。

来週は、トーマス・マンの短編を3つ扱います。岩波文庫の短編集から「幸福への意志」「餓えた人々」「悩みのひととき」。読んできて、感想を言って、感想を聞くだけです。そんなに敷居が高いものではないので、お暇な方は雑談でもするつもりで来てください。外部の人でも、こんなブログを読んでくださるような方なら歓迎です。ちなみに、本郷にある大学の、両側の大きな門の間くらいにある噴水の近くの建物の一番上の方でやっています。これで分らない方はメールにてお尋ねください。

以下、実は先に書いたけれども、こんなお堅い内容では来る人も来なくなるだろう、と思って順番を変えた、勉強会の意義についてのお話。

2010年9月13日月曜日

本郷から秋葉原までカメラ散歩などす

バルドス氏が更新するだろうと思っていたのに、完成した「本郷通り、」一部だけを持ってロシアに逃亡してしまったので、代わりに何か書きます。

最近、気温が下がって……いたのは一時的だったようですが、おかげで多少は散歩がしやすくなりました。雑誌名のとおり、編集拠点は本郷のあたりなのですが、どちらに向かっても歩いても何かしらあって、お散歩カメラなど持ってのんびり歩きまわるにはいいところです。

このあいだは、コンパクトカメラを2つ持って、本郷から秋葉原まで歩きました。そのときの写真でもいくつか貼っておこうかと思います。長くなってしまったので、「追記の区切り」というのを使ってみる。

2010年9月5日日曜日

「本郷通り、」もKindleで読みたい

相変わらず暑いですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

どうでもいいことですが、「本郷通り、」編集部ブログはかつて、「本郷通り 編集部 ブログ」と打たないと検索上位に来なかったのですが、今では「本郷通り 編集部」や「本郷通り ブログ」だけでも引っかかるようになりました。いずれは「本郷通り」だけでも検索できるよう、これからも鋭意頑張りたいと思います。(ものすごい篤志家の方がgoogleに大量の広告を……いやいや、地道に頑張りましょう)

ついでに業務連絡を。水曜日、残りの製本を終えてしまおうと思います。色紙は先週50部買ったやつを追加で買っていきます。残っている過程は、表紙の印刷と、重ねて折るのと、ホッチキスとです。いい加減完成させて、次の週が集中講義で毎日開室なので、どんどん持って行ってもらいましょう。

ついでに個人連絡も。体調を崩してた間に予算の申請とかがぎりぎりになってしまったので、資料集めの海外旅行は延期します。代わりといってはなんですが、Kindle3を発注しました。注文殺到みたいで、届くまでにまだ2週間くらいかかりそうですが、休みの終わりはこれで遊ぼうと思います。ちょっと調べたら、青空文庫のzipを縦書き・読みやすいフォントにしてくれる青空キンドルだとか、英辞郎のKindle対応版だとかすでにあって、英語音痴な僕でも楽しめそうです。

といった感じ。幹事と言えば(と編集(片)は意識の流れ的に思い出した)、編集(河岸)氏が研究室のページに合宿の幹事レポートを書いているので、こんな文章を読むくらいお暇なら、そちらもぜひごらんください。

2010年9月1日水曜日

ゲーテ・インスティテュート

編集(河岸)氏の投稿を見て、たしかに、せっかくネットなんだから画像くらい使ってみた方がいいなあ、と思ったので、ちょうど今日、はじめて赤坂の「ゲーテ・インスティテュート」に行ってきたその写真でも。
青山一丁目から、通りをまっすぐに歩くと、NTT ComunicationsやらSCEIの先にカナダ大使館が見えてきます。

なんか、写真を入れたら勝手にtableタグが挿入されていやな感じだけれども、修正するのも面倒なので、投稿してみてひどい結果になっていなければ気にしないことにしよう。さて、なお少し歩くと、こんどは高橋是清の家だったというところに公園が。
都会だけに、虫の声がうるさいのが逆に新鮮な感じがします。この中を抜けても遠回りにならないので、どうせだから突き抜けましょう。
そして、これがドイツ文化会館にして、ゲーテ・インスティテュートが入っている建物です。正面にレストランの看板が出ているので、多少躊躇しつつも中に入ってみました。
(ここからは写真はありません。)

ゲーテ・インスティテュートは、ドイツが各国に作っている語学・文化宣伝拠点で、セルバンテス・センターや孔子学院みたいなものです。京都や大阪にもあるみたいですね。
語学学校に行きたいのはやまやまながら、先立つものが、という自分がなぜ来たかと言えば、ここに図書室があるという話を聞いたからです。案内板を見ると2階だということで、おそるおそる上がってみました。(なお、1階には、ドイツ観光案内の充実した無料パンフレットだとか、DAAD(ドイツ学術なんとか)の奨学金の告知などが貼ってあるので、それらにも目を通すといいでしょう。僕もいくつか貰ってきました。)
2階の図書室は、貸出には1年あたり3000円(学生は1500円)の会員証が必要だそうですが、閲覧は自由に行えるということで、ドイツ語の勉強にはうってつけの場所だと思いました。本に関しては、19世紀をやっている自分には多少不満もなくはないのですが、ドイツ語の本に囲まれ、置いてあるソファーに座るだけでも幸福感があります。それに辞書は大抵のものがそろっていて、机も少ないながら広く使えるので、家の近くなら文句なしに通いたいところです。(残念ながら、我が家は田舎にあるために、通うだけで片道1時間以上かかってしまうのですが……。)

というわけで、まあ、読者の皆様がドイツ語に興味をお持ちなら、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか、という具合で今日の投稿は終わり。

2010年8月29日日曜日

雑記

ある種の消極性に導かれて読書をしている。翻訳小説ばかり。
ゲーテの「タッソー」を読み、アイヒェンドルフの「予感と現在」や「のらくら者の日記」を読み、今更ながら「ドン・キホーテ」を後篇まで読み終える。そして図書館で、借りるときは楽しい、とばかりにまた本を借りてくる。ちなみに「ドン・キホーテ」は読んでも楽しかった。

勉強会をやるというので久しぶりに英語を読んだけれど、英語って難しい。こと文学の解釈に限ったら、英語は特別難しいんじゃないだろうか。いずれ、コンピュータが言語をより分析していったとき、他のヨーロッパ言語に比べて特定の意味に限定するのが難しいことが明らかになっても不思議はないと思う。

バルドス氏がバルザックについて書いている。そのバルザックの新しい選集が、芸術・狂気をテーマにしているというので借りてきた。なかなか色のどぎつい感じの表紙。しかし水声社か、こういう出版社には頑張ってほしいと思う。一方で、値段が少し高い気もしないでもなく、文学って売れないんだな、と悲しくもなる。

ところで、枠物語はどうなったのだろう。一読者として気になるのですが、バルドスさん。

2010年8月25日水曜日

片面印刷

今日は「本郷通り、」6号の修正と片面の印刷に終わってしまったので完成は来週かその先くらいでしょうか。
回を重ねるごとに、プリンタの設定とかは使いこなせるようになって、前はB5で一ページずつ印刷してリソグラフのガラス板でできるだけ平行に並べたりしていたけど、今では最初からB4表面だけ・裏面だけ、とかで出せるようになりました。これで左右がでこぼこになったりはしないはず。
一方で、自分でも気づいているのですが、手を抜くところは抜くようになってしまって、これについては印刷しながらこれでよかったんだろうか、などと葛藤もあり。前は余白に次号の特集の説明を入れてみたりとか、編集段階での遊びがあったんですが、今はつい、原稿を集めた、流し込んだ、一丁上がり的なルーチンワークで終えてしまいます。せっかく編集を自分たちでできるからこそ、そこに可能性を探すというか、遊び道具を見つけるような姿勢は忘れずにいたいな、とこれが次号に向けてのちょっとした反省。

しかし、今日は嘱託の方を除くと、先生1人と外部の人1人にしか会いませんでした。みんな充実しているんだなあ、このリア充め。まあ、B4の白紙に「本郷通り、」の文字列が刷られていくとき、文字はリアルの重量を獲得するわけで、そういう意味ではこれも電脳充に対するリア充には違いない。

ブリキの太鼓

自分ばかり書いて…という気もするのですが、まあいいだろうということで。
ようやく『ブリキの太鼓』を読み終えました。『ヴァインランド』『賜物』と、河出の全集から3作読破しましたが、その中でもボリューム感は断トツで、疲れたし、「もう読みたくない」という気持ちに駆られること幾度、という感じではありながら、やはり読まれるべき作品だな、と。
戦争を扱った作品ですが、目を逸らしたいけれども、目を向けるべき、そしてどこか抗いがたい魅力がある、というまさに戦争に対して人が抱く態度をそのまま感じたとも言えるでしょう。そして本としては長すぎるけど、戦争を一人の作家が描くにはこれでも短すぎるかもしれない、などと思いながら読みました。
グラスの調理法がまた見事で、このグロテスクさと、少年のクールさ、しかし読んでいてこのクールさがかなり客観性を欠いていると気づくわけですが、そうしたものが不気味ながら魅力的です。モダニズム(意識の流れ)やドイツの伝統(教養主義)をちゃかすその態度もまた戦後的です。そうした時代の記録、文学史の記念碑としても価値があるでしょう。

まあ、体力があるうちに読んでおくべき本のひとつではないかと。それにしても、池内さんのこの訳ほか、ここ最近、優れた翻訳家が、それでも必死にならないと太刀打ちできないような力作の翻訳が続いていて、読者としては大変だと思いつつも嬉しい限りです。もっと若くて、先達に負けない訳者がどんどん出てくるといいですね。
(と、ここで一つ宣伝を。その若手翻訳家として大活躍中のFさんから今回も「本郷通り、」に原稿を頂きました。ファンの皆様はお楽しみに。)

2010年8月24日火曜日

もうすぐ完成

さて、なんだか枠物語のようなブログになっていて、完結まで別のことを挟むのは差し控えようなどと思っていたのですが、「本郷通り、」の次号をお待ちの全国150名(平均発行部数)の皆様にご連絡をと思いまして。
「本郷通り、」6号は、特集:宇宙が小特集:小宇宙になってしまった感がありますが、無事ゴール一歩手前まで漕ぎつけました。あとは発見した誤字などを直して、リソグラフで手作りするだけです。そう、いまどきリソグラフなんですよ、コスト削減のために。それでもガリ版の時代に比べればずいぶん楽になりました。

いずれは電子出版なども考えつつ、ホッチキスで留められた安っぽい紙の束にもどこか愛着を覚えつつ、われわれは複製技術時代の芸術を生きていますよ、ベンヤミン先生。これが芸術と言えれば、ですけどね。

2010年8月18日水曜日

僕が乗った電車 (セラピオン兄弟1)

 駅で電車を待っていたんだ、家に向かう電車をね。セミがうるさく鳴く季節で、夕焼けと、それを突き刺す黒いビルの陰をぼけっと見つめて、空気がよどんでいるせいで、時間が動いていないんじゃないか、と思える、まあよくある晩夏の情景だね。
 電車が一つ通り過ぎた。待っていた駅は快速も停まる駅だったけど、そういう駅でも通り過ぎる特別車両というのもあるものだよね。特に不思議には思わず、次を待った。
 でも次も通り過ぎた。え? と思い、それでも待った次の電車も通り過ぎる。周りを見ても、自分みたいに困惑する人々の姿はなくて、というか僕しかいないんだ。明かりの灯らない駅舎で、僕は消えそうな夕陽を頼りに時刻表を読んだ。そこには、一時間ごとに刻まれた横線が走るばかりで、一つとして数字が書き込まれていなかった。まるで夕焼けの赤い色には反応しない、特別な透明インクで書かれているみたいにね。
 僕はもう訳が分からなくなって、とりあえず駅を跳び出した。もっと冷静にそんな不思議な状況を観察すればよかったのかもしれないね。でも、怖かったんだ、一刻も早く日常に帰り着きたい、その思いで一杯だった。人間の本質っていうのはああいうパニックのときに一番出るね。僕はどこまでも臆病者だった。
 そんな臆病な僕がとった行動は、

(この続きは、「本郷通り、」の次号、創作特集に掲載される予定です。ただしいつ出ることやら)