2010年8月23日月曜日

祭りの夜 (ミーチャのアルバムより)

 祭りの夜だった。ミーチャは仲間と連れ立って、華やいだ町の目抜き通りをゆっくりと歩いていた。両側には電燈に明々と照らし出された屋台がすき間なく立ち並んでいた。怒号と呼び声が飛び交い、雑多な匂いが混じり合う中を、人々は少しの抵抗もままならないまま、同じ方向へと押し流されていた。ひしめく頭の上には、わずかな風にゆらめく提灯の列。それは白夜の明るさを持った、炎熱の夜だった。

 道は広場へと通じていた。広場の中央には巨大な櫓が高く組まれ、その頂でバンドネオンとバイオリンとギターとコントラバスからなるバンドが静かに準備をしていた。その周りを人々が幾重にも輪をなして取り囲み、最初の合図を今か今かと待っていた。タンゴがはじまろうとしていたのだ。やがてコントラバスがリズムを打ち始め、ギターとバイオリンが加わり、そこにバンドネオンの旋律が鮮やかに入り込んできた。人々は踊り出した。ミーチャたちもその輪の中に飛び込んでいった。

 同じリズムが変則的な拍子をはさみながら繰り返され、それに合わせてバンドネオンとバイオリンが競い合うように旋律をかき鳴らし、音楽は次第に狂熱の度を増していった。人々は思い思いに踊りまくり、列は乱れ、手足が交差し、かけ声とあえぎ声が音の合間合間に響いた。輪の一番外側ではビールが無料でふるまわれ、こらえきれなくなった売り手たちが続々と踊りの輪に流れ込んだ。危険なほどに高まる熱狂を少しでも冷まそうと、四台の放水車が雨を降らせたが、それもかえっていっそう人々を興奮に駆りたてるかのようだった。

 だが狂騒の時間にも終わりがやってきた。バンドが最後の曲を演奏し始めた。アストル・ピアソラの“Oblivion”。それは、それに合わせて踊るような曲ではなかった。静かに耳を傾けるべき曲だった。くすぶる喧噪を覆いつくすほどの静寂を、音楽は放っていた。宴は終わり、熱狂は遠のいていった。

 快い疲れの中で音楽を聴いていたミーチャは、隣に立っている親友のイリヤに言った。
「俺はしばらく国に帰ろうと思うんだ。三年ぶりにね」

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