はたしてこれを書いているのは自分なのだろうか、それとも「自分」はバルドスが文字列によって規定する世界の記号にすぎないのだろうか。そんなことを考えながら、新しく買った古い辞書(1960年代以来改版されていない!)のまっさらな紙の側面にアルファベットを振っていく。この辞書に記載された記号は、50年来止まったままだ。
「本郷通り、」の作業場は来週まで開かない。となれば、来週すべきことを今やればいいのだけれど、人はそんな器用なものだろうか? もしそんな器用なものなら、人は締切りに追われたりしないのではないだろうか。
そして人生に追われることも。
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