「あの人じゃないか。」はっと立ち止まるとトミー・ヌードルスは振り返った。
薄暮の中、その日最後の講義を終えた学生たちの間をぬって、一人の女性が足早に歩きすぎていく。その後姿を見間違えるはずはなかった。以前にも二度ほど帰りがけに偶然一緒になったことがあった。それからの日々、再び彼女に行き合わせることを心のどこかで絶えず夢想していた。同じような夕暮れ時、その不思議なほどに周囲から浮き立って見える彼女の姿を、学生の群れの中に無意識のうちに探したりしていた。だが、その邂逅が今日訪れるとは思っていなかった。だから不意に視界をよぎったその姿は、まるで一つの幻のようだった。トミーは鼓動の速まるのを感じながら、図書館へ行くのを取りやめて踵を返して彼女を追った。一瞬の逡巡の間に、彼女はもうかなり行き過ぎてしまっており、大きな構えの校門を出るところだった。校門の陰に隠れて姿が見えなくなった。だが行先はわかっていた。以前のときと同じく、そして他のほとんどの学生たちと同じく、門に面した大通りを左に行き、最寄りの地下鉄の駅へと向うはずだった。
慌てて門を出て視線を左に遣ると、その先に彼女の姿はなかった。駅へと向う見知らぬ学生たちがまばらに歩いているだけだった。虚を衝かれて視線をさまよわせると、大通りと交わる細い横道の一つに今しも彼女が入っていくところだった。なぜ? 疑念が胸をよぎった。後姿を見送りながら、その横道の先に何があるのか、思い巡らした。何も思い浮かばなかった。そこは、人家が軒を並べているだけのありふれた住宅街で、ほとんどの学生にとっては異国のようなものだった。だから、これからみなが電車に乗って、家に帰るなり、歓楽街にくり出すなりしようという時間に、わざわざそんな横道に入っていく理由があろうとはとても思えなかった。しかも彼女の足取りは確固たるもので、気ままな散歩者のそれではなかった。トミーは考えあぐねて、しばしの間立ち尽くしていた。彼女の後姿は一つの謎だった。暗い想像を誘う一つの謎だった。
そのとき、遠く彼女の手もとに何かがちらっと光った気がした。鏡のようだった。彼女はそれを顔の前にかざした。それは、残照を反射して一瞬鋭い光を放つと、すぐにかばんにしまわれた。やがて彼女の姿は小道の奥に消えて見えなくなった。暗い好奇心の虜となった彼は、最後のためらいを捨てると、後を追ってほの暗い小道へそっと入っていった。
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