2013年11月18日月曜日

明かりに魅せられて

コジ・カーターは時計を見た。六時を十五分ほど回っている。
秋が冬になり、夜は取り分を増す時節だが、それでも外は明らんでくる。
書きかけの原稿と参考資料から目を離して、息抜きを探す。

原稿。コジはいまでも「本郷通り、」の復刊を夢見ているが、
さし当たり、生きの良い仲間の雑誌に寄稿するのも悪くないと
キーボードを叩いていた。

雑誌の名は「篝火」。ふと彼は、「本郷通り ブログ」を検索すると
このブログにたどり着けたことを思い出した。
「篝火」に当時の仲間が関わっている以上、ブログがあってもおかしくない。
試しに、「篝火 ロシア詩」で検索してみる。

やはり。
「本郷通り、」創設者の一人であり、「篝火」の発起人でもある
バルドスが、紛れもない彼の文体でブログを書いていた。
雑誌のテーマからどこまでも逸脱していくのが彼の流儀だ。

そしてイッペーオはサンペイに名を変えていた。
知り合いから噂は聞くが、元気そうで何よりだ。

懐かしく思えて、この「本郷通り、」ブログを久々に開いた。
いくつかの記事とともに記憶も甦る。
預かりながら印刷できなかった原稿も、そのまま
メールアドレスに添付ファイルとして保管されている。


コジは息抜きを終えて、「篝火」の原稿に戻った。
しかし、夢はここに置いてある。いつか拾いに来るだろう。

2012年10月17日水曜日

備忘録


偉大なる教養人篠田一士は、講義録『三田の詩人たち』で、余談ながらとでもいうように、その文学史観の一端を披歴している。日本近代の詩的表現の頂点に位置するものとして、斎藤茂吉の『白き山』と北原白秋の『黒檜』の二歌集をあげ、「千数百年の伝統をもろに背負いながら近代的情感を盛り込んだ天才歌人の仕事が、いかに驚くべきものかということが骨身にしみます」と称えている。

 私は斎藤茂吉の歌は恥ずかしながらほとんど読んだことがないが、北原白秋の歌はいくつか愛誦していた時期がある。たとえば、「青玉のしだれ花火のちりかかり消ゆる路上を君よいそがむ」という一首から立ちのぼる官能のきらめきに、若かった私は陶然となったものだった。ただその頃読んでいたのは『桐の花』などもっぱら初期の歌集のみで、晩年のものは、これまた恥ずかしながら、全く把握していなかった。

書棚をさぐり、北原白秋の歌集を手にとって『黒檜』の頁を開いてみると、いきなり次の短歌が目に飛び込んできた。

 
 照る月の冷さだかなるあかり戸に眼は凝らしつつ盲ひてゆくなり

 

2012年9月30日日曜日

長い道程


イッペーオは長い沈黙の後、言葉を一つずつ選びながら語り始める。

彼は逃亡生活を送っていた。日中は顔を隠すように帽子を目深に被っていた。真夜中だけが彼を安心させた。その長い道程の果てにここへもう一度戻ってきたんだと彼は強調する。

彼は一つの書物を取り出した。それはボロボロに擦り切れた革表紙の日記だった。彼は徐にページを開き、それを読み始めた。その時。いつもは騒がしい連中も彼の声に静かに耳を傾けたのだった。



私について考える日記を書きたいと考えている。だけど、それはどんな日記になるのか、分からない。簡単なメモみたいなものかもしれない。けれど、そんなことはどうでもいい。私は誰なのか?
そんなことは誰かにとってみれば取るにたりない事象だけど、私にとっては切実な問題だ。私は自分が死ぬ時のことを考える。死んだら私と私を取り巻いていたひとたちの関係はどうなるのだろうと考える。例えばの話だが、私を嫌ってる人がいて、その人は私の死を反芻したり、あるいは少しは悲しんだりするんだろうか?そんなことは誰かにとってみれば取るにたりない事象だけど、私にとっては切実な問題だ。私は自分が死ぬ時のことを考える。死んだら私と私を取り巻いていたひとたちの関係はどうなるのだろうと考える。例えばの話だが、私を嫌ってる人がいて、その人は私の死を反芻したり、あるいは少しは悲しんだりするんだろうか?そうして、私がこの日記が解かれることがなければ、私が死んだ後、この日記は誰にも見られない。恐らくそうだろう。言葉だけがそこにある。それが半永久的に、人間がいる限り、この日記は単純にいえば生きつづける。では?日記の葬式はないだろう。誰かがやってくれたりするのだろうか?日記のお墓を作って、お盆にはお参りにきてお供えして、線香あげて話しかける。そんなことはないだろうから、そのまま生きたテイで日記だけが、存在する。そう考えると、生きた爪痕を簡単に残せるのが、日記なのではないか。そう思ってこの日記を始めよう。どんなかたちになるのか分からないけれど、大袈裟にいえばこれから私の生きた証を残していく。残り少ない人生の誰にも見られないのかもしれない、言葉を少しは残せればよいのかな、と思う。


こんなふうに言葉にしたりするのだろうか?
つまり、私の死は私にとってどうでもよいことなのに、私の取り巻くひとたちにとっては結構大事なことになったりする。そして時間をかけて弔ったりする。しちめんどくさい弔う儀式もしたりする。派手にぱっと葬式をやってみたり、ごく身内で簡単にすませたりする。

2012年8月27日月曜日

再会


「久しぶりだね、イッペーオ」

バルドスは旧友の手を握った。イッペーオは少しはにかんだような笑みを浮かべてバルドスの手を握りかえした。最後に会った時とほとんど変わっていなかった。それでも、会わないでいた間の年月がその表情に微かな陰影を与えていることに、バルドスは気づいた。「楽な渡世ではないのだろう」と彼は思った。

イッペーオは、セラピオン兄弟の一人で、バルドスにとっては探偵事務所を開いていた頃の相棒でもあった。ショーンを含む三人で事務所を経営し、コジが市長になった後は、彼に請われて揃って本郷市の保安官を務めた。しかし、あの政変の後、輝かしい実績を誇ったトリオも散り散りとなった。

「来てくれると思っていた」一息ついた後でバルドスは切り出した。「なつかしい。でも自分のことは後回しにしよう。実はチムニーに席をとってあるんだ。ケイシーもコジも来る。セラピオン兄弟の再会を祝すんだよ! ただ、その前に話したいことがある」

「ショーンのことでしょう」イッペーオはすべてを察しているかのように答えた。

「そう、今日事務所を再開したのは、他でもない、一緒にショーンを探しにいきたいからなんだ。再開後最初の依頼人はこの俺だよ。ショーンはあれ以来いまだに行方知れずになっている。コジが随分手を尽くしたけれど、それでも連絡はつかなかった」

 政変の時、ショーンはヨーロッパで諜報活動に従事していた。だが、セラピオン兄弟の敗北を知って、ヨーロッパに留まることを選んだ。学生時代に留学したことのあるチェコに亡命したのではないかとの憶測がなされたが、手がかりはなかった。

「ショーンのことを思い出さない日はなかったよ。ずっと手がかりを探してきた。そしてやっとそれらしきものを見つけたんだ。見てくれ」

バルドスは分厚い本を取り出した。濃いグリーンの表紙に、やや色あせた銀色の文字が浮き出している。

「これは一年前にロシアで出版された『都市と景観』という論集なんだ。この中に「暗渠と夢想」という論文が掲載されている。著者はヴィドプリャーソフという名だが、これがペンネームであることは間違いない。ヴィドプリャーソフというのはドストエフスキーの小説に出てくる狂人の名前だからね。俺はまさかと思ったけれど、どうしても気になって本を注文した。先日ようやく届いたのを読んで、すぐに確信したよ。これはショーンが書いたに違いない。著者は自らをドストエフスキーの夢想家になぞらえながら、都市を漫歩し、暗渠についての薀蓄を披露している。論文の一節にこういう箇所があってね、これは『本郷通り、』にショーンが書いた文章の一節と酷似しているんだよ!」

夢中になってしゃべり続けていたバルドスは、本を開いてその箇所をイッペーオに示した。そのときイッペーオに目を向けたバルドスは、彼が泰然自若と構えているのを見て奇異の念を抱いた。いくら冷静なイッペーオとはいえ、旧友についての思いがけない情報に無関心でいられるとは思えない。バルドスの顔に浮かんだ不審の念を察したのか、イッペーオは静かに鞄を探ると、自分もまた一冊の本を取り出した。緑地に銀文字の表題。『都市と景観』。それは、バルドスの手にある本と全く同じものだった! 二人の友は目を見交わした。
「もう準備はできているんです」とイッペーオが言った。「早くロシアへ行きましょう」

2012年8月13日月曜日

バルドス探偵事務所再開

 バルドスは、友人のケイシーが主筆を務める「本郷新聞」に短い求人広告を載せた。「バルドス探偵事務所再開。ショーンを探す。相棒求む」。ほとんど確信に近い期待を抱きながら、バルドスは終日事務所で待っていた。
 翌日、事務所の扉を開けて一人の青年が入ってきた。バルドスの期待は裏切られなかった。表通りの光を浴びて影のように立っていたのは、あのイッペーオ・トゥリードーマだった。
 

2012年8月10日金曜日

セラピオン兄弟、再び


今日久しぶりにケイシーに会った。かつて毎日のように並んで歩いた本郷通りを、記憶を確認するようにゆっくり下っていった。ある建物の前で、私たちの足は自然に止まった。

 昔ここに市政館があり、その奥まったところの一角に私たちの編集室があった。市政館を統べていたのはコジ・カーター。私とケイシーも市政の一翼を担っていた。私たちは激しい公務の合間をぬって編集室に集い、雑誌や文集を作っていた。

 今ここにあるのは無人の館だ。往時の瀟洒な姿をわずかに留めているが、赤レンガは色を失い、壁にはツタが絡まり、汚れた窓ガラスは光を透さない。新たに建てられた市政館はここから数百メートル離れたところにある。そこを治めているのは、もはやコジ・カーターではない。私たちは政争に敗れ、それぞれの職を辞したのだ。

 青春の跡地に無言で立ち尽くしていた私たちは、旧市政館の塀に書かれた真新しい落書きにほとんど同時に気付いた。「花とりどり人ちりぢりの眺め窓の外の入日雲」。私たちは顔を見合わせた。その特徴的な筆跡を見誤りようもなかった。コジ・カーターのものだった。そこに込められたノスタルジーを、私たちは瞬時に感じ取った。「セラピオン兄弟」とケイシーがつぶやいた。

 セラピオン兄弟。編集室に集まる仲間を私たちはそう名付けていた。近づきつつある政治の嵐を予感しながら、それに背を向けるように、私たちはここに集い、語り合い、小さな文集を作っていた。現実から逃避した夢想家の集まりと言われても、あえて否定はしない。それでも、あの空間が無意味だったとは誰にも言わせない。語り合うこと。詩を朗読すること。一人泣いている黒いドレスの女が不意に仲間に加わりたいと言ってきたら、当たり前のように受け入れること。あの「親密な連帯」には確かな息吹があったのだ。

 大切なものをあまりにも安く時間に売り渡してしまったのかもしれない。そう思うと胸が疼いた。そのとき不意にケイシーが言った。「また集まろうか」。穏やかな声で何気なく発せられた言葉は、その何気なさゆえに気高く響いた。そうだ、もう一度集まればいい。いともたやすく流れすぎていく時間にただ身を委ねているだけでいいのか? たとえ現実に離散していても、私たちには言葉がある。この想像の場所に、私たちはいつでも立ち帰ることができるはずだ。


友よ、再び番がめぐってきた。さあ、何か語ってくれ。


2012年7月24日火曜日

塚谷教授ブックトークのおしらせ

お久しぶりです、編集(片)です。というか誰も見ていないか、ひょっとするとRSSリーダーなどに登録されて突然久しぶりにこの記事をご覧になる方も多いかもしれません。

「本郷通り、」は編集部変更のドタドタでげんざい残念ながら休刊しているようです。引き継ぎをうまくできなかった私にもその一因があると思いますが、それはともかく。

理学部の塚谷教授、かつてドリアンについてご高説いただいたあの塚谷教授から、ブックトークのお知らせをいただきまして。せめてこれだけでもご案内しなくては申し訳ないなと久しぶりにブログの更新をする次第です。

http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/koho/news/news/soto_12_07_18.html

上記のリンクのとおり、7/30に図書館でブックトークをされるそうです。その内容は文学研究者にも興味深い、漱石の「それから」についてのもの。実に学際的な感じがして、興味を惹かれる内容ですね。一般の方も参加できるそうなので、ぜひみなさまふるってご参加ください。

それにしても、われながら、「本郷通り、」懐かしいです。ああいう空間が後輩のみなさんにも保たれると良かったんですけどね。こういうのは押し付けることではないので。

2011年1月8日土曜日

そろそろ次号のことなど

暫定編集長代行・カワギシです。
年末年始はとある季節商品を何万枚も右から左へ左から右へと運ぶアルバイトで明け暮れました。目下のところ、月末に振り込まれるはずの賃金(風呂屋代にして1年分強)をあてにして古書漁りの欲求が燃え盛っております。
例えば。文遊社の由良君美を買い、岩波文庫の新刊のホッケを購い、筒井康隆の新刊書評集を求めたかと思えば、スロヴァキアの地方都市に魅力的な品揃えの古書店を見つけて20冊弱注文 …なんて具合。1959年に出たブラッドベリ「太陽の金の林檎」スロヴァキア語版なんて珍本がもうじきわが陋屋の一角を飾ります。
こんなことではいけません。あっという間に短期バイトのアガリなぞ吹っ飛んでしまう。ほんとうに困ったものだ!

…いや、こんな私事を書くために投稿ページにアクセスしたのではない。本題に入ります。そう、次号すなわち「本郷通り、」第7号創作特集の件です。


だいぶ前にも予告記事を書いたと思いますが、年度内の刊行を目指してぼちぼち始動します。
特集は「創作」。勿論特集外の記事も含めて、研究室界隈から原稿を募りたく思います。
また、じつは今回、卒業間近の某君が編集への参戦を希望しておりまして、彼を中心に4年生たちの置き土産の原稿がいくらか集まるかもしれません。
というわけで執筆陣各位の奮励努力を期待します。それとともに読者諸兄は第7号を期待せよ!

2010年12月22日水曜日

コジ・カーターよりバルドスへ

バルドス、きみの手紙を読んだよ。今きみには、次のことしか言えない。
ボッカッチョが『デカメロン』の中で言っているように、
「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ」
という一句だ。
きみの喜びは昨日の喜びでも明日の喜びでもない。きみの不安も同じだ。それは今この瞬間のものなんだ。
恋愛は政治とは違う。正しい行先を目指すこと、操縦を誤らないようにすることはもちろん大切だけれど、何より大事なのは飛行そのものなのではないのか。
バルドス、きみはもう飛び立ったんだ。ただ飛び続ければいい。

それからもうひとつ言いたいのは、われわれセラピオン兄弟は、遠くから無事を祈ることしかできないけれど、きみをいつも応援しているということだよ、バルドス。

コジ・カーター

2010年12月15日水曜日

日本語の癖と美しさ

ご無沙汰しています。編集(片)です。まぁ、バルドス氏の小説に登場したりと、いろいろと忙しいようです。

次号は創作号、となれば編集部の一同も小説を書かなければいけない、ということで僕も最近は日本語について考えています。頭の中が翻訳でいっぱいなときには、いかに癖のない文体を選び出すか、読みやすい文章にするか、そうしたことを意識して、「そぎ落とす」ことばかり考えていたのですが、最近Kindleで青空文庫からてきとうに古典を拾っては読んでいると、その多様な文体にまた圧倒され魅了されます。四迷の「浮雲」の自由闊達な文体、鴎外の文語調の格調高さ、漱石の漢文交じりの、分らないままに伝わる風格と、「道草」の現代でも通ずるような読みやすさ。

ほんとうは翻訳こそ、そうした文体の癖さえ描き分けるほどに日本語を巧みに操れてこそやるべきなのだろう、と思いながら、その域に達するにはまだ道半ばのまた半ば。少しでも栄養を補給しないと、などと思います。

……そういえば、ロシア語・英語が闊達で昨年度まで非常にお世話になった方も、「きれいな日本語を読みたい」と言っていたなぁ。そのときの僕は、外国語ができないということで頭がいっぱいで、自分の日本語の不足なんて思いも至らなかった。

2010年12月13日月曜日

夜明け (ミーチャのアルバムより)

 修士の学位論文を提出した日、長い蟄居生活が明けたことを記念して、ミーチャは同じ提出組の仲間たちと祝杯をあげに行った。午後のまだ遅くない時間だった。日の光に満ちた明るい店内で、空き腹に酒を流し込んだ。そのまま杯を重ねているうちに、夜になった。帰る気も眠る気もなかったから、今度はダンスホールに繰り出した。

 そうして夜っぴて歌って踊りつづけた。そのうち酔いはさめ、意識が冴えてきた。濁った空気は重く、手足も重かった。やがてウェイターが気のない声で時を告げ、一同は言葉少なにホールを後にした。

 一年で夜がいちばん長い時季だったから、あたりはまだ暗かった。だが、夜の密度は確実に薄らいでいた。じきに日が昇り、残された夜を迅速に蝕んでいくだろう。そして再びもう一つの日常が始まるのだ。ミーチャの胸の内を察したかのように、サーシャが言った。「論文を書いていた間はやりたいことがいっぱいあったはずなんだけど、何だかみんな忘れてしまったみたいだ」

 改札で仲間たちと別れた。プラットホームにはすでに始発列車が待っていた。すべての扉を開け放したがらんどうの車両が、延々と長くのびていた。ミーチャは寒々とした車内の隅の席に腰をおろした。マフラーをきつめにまき直し、コートの襟をかき合せた。白熱灯の冷たい光が疲れた神経をかえって刺激するかのようで、昨夜のまだ新しい記憶が脈絡もなく頭の中で明滅した。列車が動き始めた。やがてミーチャは、ただ肉体が要求するだけの眠りに落ちていった。

 目が覚めたとき、すでに夜は明けていた。向かいに座っている、明らかに酔いどれの風体をした中年男が、無精ひげをさすりながら大きなあくびをした。ミーチャもつられてあくびをした。まだいくらか酔いの残っているらしい男は、おどけた顔でミーチャにウィンクをしてみせた。

2010年12月10日金曜日

本郷市史 2010-2011 (2)

序言(続き)

 コジは来年が波乱の年になるのではないかと危ぶんでいた。この年の夏、セラピオン兄弟(コジの仲間たちの通称)は一人の女を仲間に迎え入れた。あらゆる謎を免れているかと思えるほどに開放的で、しかしその過去のすべてが謎に包まれている女、ソーニャ。彼女を仲間に入れたとき、友としては正しいことをしたが、政治家としては道を誤ったのだ、とコジは思った。

 コジは政治家としての気質がすっかり身についてしまっていたから、ソーニャを迎え入れた時点で、バルドスに依頼してソーニャの来歴を秘密裏に調査させた。その結果、ソーニャの過去の一部が明らかになった。彼女は、本郷から市一つはさんで50キロほど離れたところに位置する町、マギラにある劇場の花形の踊り子だった。劇場の経営者であるクライトンは、郡全体に影響力を持つとされる黒社会のドンで、マギラの実質的な支配者だった。クライトンのソーニャに寄せる関心は、単なる興行主としてのそれを越えたものらしかった。

 そのソーニャがなぜかマギラを逃げ出し、本郷に流れ着いたのである。いずれクライトンはソーニャがこの町にいることに気づくだろう、あるいはすでに気づいているのかもしれない。クライトンがそれを黙って見過ごすとは思えなかった。
 また市内にも、ジャンゴの一件が引き金となってソーニャに関して良からぬ噂をする者がいた。それは主に反コジを標榜する連中だった。来年の市長選を前に、コジは反対派に一つの弱みを与えてしまったのだ。相手の策謀に、一挙一動に目を光らせなければならなかった。

本郷市史 2010-2011 (1)

序言

 本郷市は決して大きな町ではないが、郡の最高学府を有し、文化の中心地として栄えている。町を東西に二分する本郷通りに、ほとんどすべての機関が集まっている。通りの中心には大学がある。広い敷地のなかに瀟洒なレンガ造りの建物が並び、それらの建物を統べるかのように巨大な塔が中央の講堂広場にそびえ立っている。文献学者として世界的に有名なパーヴェル・オーセニイが現在学長を務めている。大学の向かいには市政館がある。現在の市長は三年前の市長選で初めて当選したコジ・カーターである。異例の若さで市長に就任したが、すでに市政の重鎮としての貫禄を示している。市政館の東、百メートルほど先に保安官事務所がある。本郷市は郡警察の管轄化に置かれているが、町の実質的な警察任務は保安官が担っている。保安官を務めるのはバルドス・トモンスキー、保安官補はショーン・ベーリクとイッペーオ・トゥリーダマーの二人である。この三人はかつて共同で探偵事務所を経営しており、そのときの実績を買われて現在の職に任命された。市政館の隣には本郷新聞社の事務所がある。現在主筆を務めるのはケイシー・ツボノヴィッチ。彼は小説家・翻訳家としての顔も持っている。

市の政治と文化を担う彼らは、みな本郷大学の出身者で、同じ研究室で学んだ仲間たちである。本郷市のような小さい町を治めるのに、彼らの親密さは都合が良かった。市政は行き届き、治安も良く、人びとには活気があった。来年に市長選を控えていたが、コジに寄せる市民の信頼は厚く、再選は確実視されていた。

こうして2010年もつつがなく暮れていくかに思われた。だが、コジの胸には一つの暗い予感があった。

2010年11月20日土曜日

丘をおりる

バルドスは執筆の仕事をほぼ終えました。数々のご声援、ありがとうございました。特にショーンとアーニャの二人には心から御礼申し上げます。

それからモスクワのアレクセイ! あたたかいメールをいつもありがとう。一月遅れの誕生祝いも、胸にしみた。

もちろんまだ気を抜くには早い。必要条件をクリアしただけだ。より完全に近いものを目指す。

ケイシー、終わったらソーニャとピクニックに行こう。

2010年11月19日金曜日

いずれは機械翻訳がとって代わるのかな

のんびりとやっていた「フランツ・シュテルンバルト」の翻訳も、ようやく第一部が終わって、これで半分弱(今のところ12万3千字くらい、原稿用紙300枚とちょっと)。というわけで一区切り、というか第二部の最初がどうも難しくて少し気力が降りてこない。

そもそも、今回やってみて知ったこと。ティークはもちろん作家であるけれど、詩人でもあって、ゲーテやアイヒェンドルフほど天才ではないにせよ、詩もたくさん残しているのに(Wikipedia DeではDichter, Enではpoetが紹介文の最初の肩書きになっているほど)、参考にしうる翻訳が全然見つからない。まあ、頑張ってロマン派詩集みたいなものを漁りに漁ればいく編かは見つかるのかもしれないけど、今探しているのは、小説内に収められた、必ずしも出来のいいとは限らない作中詩なのでちょっと難しいだろうな。

そんなわけで、暗中模索。それでもコツコツとやっているのですが、いつかこれを踏まえてきっと誰かがもっといい訳を生み出してくれたら、などという言い訳をすでにもうしつつあったり。そうは言っても、たまには難読の場所を必死に読んで正しく解釈できている気もするので、その辺くらいは、次の訳者(百年後くらいかな?)にも役立つといいのだけれど。

2010年11月10日水曜日

フィルムセンターへ行くべし

暫定偏執長代行・河岸です。
編集長はもはや名ばかり、摂家将軍の方がまだしも働いていただろう…と思われる状況にあるため、上記の「偏執長」なる記述は誤記でも何でもないんだぜ!

はあ。それはそうと。
11/9~12/26の間(つまり昨日から今年いっぱい)、国立フィルムセンター(NFC)で黒澤明特集が組まれているのをご存じだろうか。全監督作品30作に加え、脚本・脚色作品20作の総計50作品が一挙上映されるという、生誕百年に相応しい好企画なのである。

じつは今年度から、国立博物館・美術館のキャンパスメンバーズ制度がNFC通常上映にも適用になっている。
したがって本学学生ならばだれでも、学生証の提示だけでタダで50作すべてを鑑賞することができるのだ(…おっと、当ブログはべつにどの大学の所属だと表明しているわけではなかったか。加盟校の学生なら、と訂正しよう)
わりと早い時間から行列が必要だったり、マナーの悪い老人に苛立たされたりと決して快適な劇場とは言えないんだけれども、交通費だけで黒澤作品がスクリーンで観られる滅多にない機会を逃すなかれ。黒澤作品、とりわけ代表作を多く含む東宝作品はなかなか名画座ではかかりませんからね。

                       *    *    *

ついでに書くと、神保町シアターという三省堂裏手にある名画座では11/20~12/29にかけて小津安二郎の現存する全作品を一挙上映する。こちらは一本立てで学生料金800円なりが必要となるが、やはり貴重な機会であるから通うといいだろう。
 
というわけで私はこれから、19:00~の「素晴らしき日曜日」を観に京橋へ移動するのである。
 
 
NFC・黒澤特集ページ
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2010-11-12/kaisetsu.html
 
キャンパスメンバーズ加盟校
http://www.momat.go.jp/campus/index.html
 
神保町シアター・小津特集ページ
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/ozu.html

2010年11月7日日曜日

届かない手紙

ボヘミアンのおじさんへ

 おじさん、元気ですか? 今どこに隠れているんですか? いつまで隠れているつもりなんですか?

 おじさん、正直俺は今しんどいです。おじさんが隣にいて探偵稼業のイロハを手取り足取り教えてくれたころが懐かしい。あの日、ひたすら張り込みと尾行を繰り返して、やっと「本郷通りのアル・カポネ」の不正を暴いたとき、おじさんは「お前はもう一人立ちできる」って言ったけど、俺はまだ一人では何一つ解決できていないんだ。

 「バラ色の街角に消えた女」は迷宮入りしそうです。いや、肝心なのはそういうことじゃない。肝心なのは、俺自身がそこに迷い込んで、抜け出せなくなっているってことなんだ。顔も名前もわからない女の行方を、トミーの気違いじみた熱狂に伝染したみたいになって、むちゃくちゃに探しまわっているうちに、何だかあの幻の女が俺自身の探し人であるような気がしてきて、トミーが最後に見たという後ろ姿がいつも昼となく夜となく目先にちらついているんです。
 あの女の振り向いた顔がむしょうに見たくて、見たくてたまらなくて、手がかりは何もないけど、明日こそ何か見つかるかもしれない、何か発見があるかもしれない、そんな根拠のない希望だけにたよって、今もまださまよっているんです。

 おじさんは一年前、「ホシを掴むには、その目的地にホシよりも速く行くことだ」って教えたけど、この事件については無益な忠告でしたね。

バルドス

2010年11月5日金曜日

友への手紙

ケイシーへ

 元気でやってるか? 執筆は順調かい?
 君が小説を書くために、背水の陣をしいて、どこぞのホテルに引き籠ってから、もう数か月が経つんだね。

 みんなは元気でやってる。ソーニャの秘書っぷりもなかなかさまになってきた。今ではうちの探偵事務所の顔だよ。相変わらずショーンのことをよくからかっている。君がいないのを寂しがっているぜ。でも、書き終わらないかぎり帰ってくるな、と強がりを言っている。

バルドス

 

2010年10月31日日曜日

神保町

すっかりご無沙汰をしていました。意外と書くことに困ってしまって、というかチェーホフ短編集の感想を書くつもりが、まだ読み終わっていないので宙ぶらりんなこともあって、ずるずると。

これではいかん、と神保町の古本市に行って来たのですが、昔ほど古本にときめかない自分に気づかされつつ、それでも午後いっぱいぶらっとしてきました。最近、読みたい本がたまりにたまっていて、古本屋で面白そうな本を見つけても、それを読む時間を手に入れた自分を想像できず、置き場所ばかり気にかかってなかなかレジに持っていけません。

というわけで、すずらん通りのキズ物本たたき売りなども目を通しながら、買うには至らず。かろうじて編集(河岸)氏が「厳松堂半額ですよ!」と興奮して言っていたのを思い出して、「教養小説の展望と諸相」という本を買ってきました。1400円だったし、有名な人も何人か書いているので、悪くない買い物だったかな、と。ちなみに彼が買っていた「ミハイール・バフチーンの世界」はまだ在庫があって、買おうか迷ったのですが、同じ本を買うのも芸がないと思ったのでやめました。

あとは「トールキン指輪物語事典」というのを衝動買いして、ネットで見たらけっこう安く出回っていたけれど、こういうのは一期一会だから、まあいいか、と。「芸術と策謀のパリ」という本がワゴンで400円で出ていたのを迷って買い損ねたのをいま少し後悔しつつ、でも残りの2冊がずいぶんと重かったのです。誰か明日以降行って、まだ見かけたら買っといてください。

前回買うのを見送った白水社の「仏和大辞典」が、またワゴンにあって、3000円で、迷ってまた買いませんでした。金額以上に、重い本を持って帰るという覚悟が毎回つきません。だれか重さ以上の情熱がある人は買ってみてください。
「事典 現代のドイツ」というのも2冊別々の場所で見かけて、データが古そうなので買わなかったけれど、役に立つものだったかも、といま思っているところ。

そんなところで。ちなみに、ワゴンセールについては水曜までやってると思います。

2010年10月26日火曜日

国会図書館1

 今日久しぶりに編集室に顔を出したら、髪の青くなったブロンドがいた。長い間会っていなかった。俺は例の「バラ色の街角に消えた女」の不毛な捜査に追われていたし、ブロンドも最近までダージリン襲撃事件にかかりっきりだったからだ(ホシをあげたのはブロンドのお手柄である。ちなみにホシはあのジャンゴだった)。

 俺は資料を集めに国会図書館に行かなければならなかった。しばらく雑談した後で俺が席を立つと、ブロンドも時計をちらっと見て立ち上がった。「どっか行くのか?」と聞いたら、何と国会図書館に行くのだという。妙なめぐり合わせに驚く俺に、ブロンドは「何で髪を青くしたのか忘れてしまってね。国会図書館の遺失物係に理由を聞きに行くんだ」とぼそっと言った。

 外に出ると、空は暗くて、秋の雨が霧を撒くように降っていた。二人とも傘を持っていなかった。雨の本郷通りを駅まで歩いた。人通りが多かったから走りようもなかったが、そもそも走って避けるほどの雨でもなかった。まつ毛に溜まった水滴が頬を伝って流れ落ちた。湿っぽいメトロの階段を下りたら、ちょうど列車がホームに到着したところだった。飛び乗ると同時に、後ろでドアが閉まった。いつもより明るく見える白熱灯を反射して、雨に濡れたブロンドの髪が青く光った。

 国会図書館の方へ、列車は地下トンネルを進んでいった。