今年最初の、そしておそらく最後のさくらんぼ(親切な人が分けてくれたのだ)を食べながら、子供の頃を思い出していた。もうずっと昔、50年以上も前のことだ。
親の仕事の関係で、学期の途中に東京の小学校に転校することになった。越してきた当初は、慣れない土地で友達もなかなかできず、学校がひけた後、四つ下の妹を連れて、近くの公園で静かに遊ぶ日々が続いた。
ある日、今日のような梅雨の晴れ間に、いつものように公園で遊んでいた私たちは、地面の一部が紫色にまだら模様をなして染まっていることに気づいた。桜の木の下だった。見上げてみて、葉に隠れるようにしてさくらんぼが実っているのを発見したときの驚き。わたしたちは途端に元気づいた。食べたい、と妹がいう。桜の木は、決して小さくはなかったが、枝を幾重にも大きく広げているので、幼い私にも少し頑張れば登れそうだった。
私は木によじ登り、手近の枝をつかんでいくつかのさくらんぼの実をもぎ取った。そして妹と分け合って食べた。小さくて、色づきも悪く、口に含むと苦い酸味ばしった味が広がったが、それでも舌先に残る確かな甘さがあった。
あれから50年が経った。妹はもうすぐおばあちゃんになろうとしている。家に残っていた末の子供もこの春に独り立ちした。今は退職した夫と二人のんびり暮らしている。時代遅れのアナーキストで、今はボヘミアンの暮らしを送っている兄の私が、たまにふらりと訪ねると、少し困った顔を見せながら、それでもあたたかく迎えてくれる。
妹よ、あのさくらんぼの味を覚えているか? またお前のところへ行きたくなったよ。
池のほとりのボヘミアンより
お兄さん、あのさくらんぼの味、今でも覚えています。
返信削除また遊びに来てくださいね。困った顔なんてしてません。ただ、ときどきお酒くさいから。
ふんどしの話なんて、心にもないこと言わないでくださいね。
お兄さん、あのさくらんぼの味、今でも覚えています。
返信削除また遊びに来てくださいね。困った顔なんてしません。ただ、ときどきお酒くさいから。
ふんどしの話なんて、心にもないこと言わないでくださいね。
ああ、ありがとう。お前はやっぱり何もかもお見通しなんだね。かなわないな。
同じこと、二つもコメントしなくていいよ。